概要
幅25メートル、奥行10メートルの白砂に、15の石を5つの群に置いた。木も水もない。どの位置から見ても、必ず1つは見えない。作者も、作られた年も、意図も、記録がない(石の裏に室町末期の庭師の名がある、と言われる)。江戸時代の書には「虎の子渡し」と読む説が載る。20世紀に、世界中の人がここへ来て、意味を探すようになった。
場所
35.03°N 135.72°E · 京都府京都市
本文
京都の北西、衣笠山の麓。もと徳大寺家の別荘で、1450年、細川勝元が譲り受けて禅寺にした。1468年、応仁の乱で焼けた(勝元は東軍の総帥)。1488年、子の細川政元が再興した。1797年、また焼けた。
方丈の南の庭。東西25メートル、南北10メートル。白砂を敷き、箒目を引く。石が15個、5つの群(5・2・3・2・3)に分けて置かれている。土塀が三方を囲む。木はない。水はない。花もない。
塀。油を混ぜた土(油土塀)で、時間とともに油がしみ出して、色の斑ができている。高さは低く、外の木が見える(借景)。
15の石。どの位置から見ても、必ず1つは他の石の陰になって、14しか見えない、と言われる(縁側のどこからでも。中央からは見える、という説もある。数え方で異論がある)。「15」は、東洋で「満ちた数」(満月は15日)。1つ足りない、という読み。
誰が、いつ作ったか。記録がない。
(1)室町末期、細川政元の再興のとき、という説。(2)石の裏に「小太郎」「□二郎」と刻まれている。これは、当時、寺社の作事に使われた「河原者(かわらもの)」——差別された身分の造園と土木の技能者——の名前だと考えられている。善阿弥(足利義政に仕えた作庭の名手)の系統。(3)江戸初期に今の形になった、という説。
意味。江戸時代の『都林泉名勝図会』(1799年)に「虎の子渡し」の名がある。虎が3匹の子(うち1匹は獰猛)を川の向こうへ渡す、どう運べば子が食われないか、という中国の説話。石の配置をそう見た。他に、「北斗七星」「大洋の島々」「心の字」「禅の公案そのもの」。作者が何も書き残していないので、全部が後の読みである。
寺の縁側に座って、庭を見る。何も起きない。石は動かない。
1975年、エリザベス2世が来て、絶賛した。それが世界に報じられ、以後、外国からの訪問者が急増した。1994年、世界遺産。
いま、修学旅行の生徒と、世界中の観光客が、縁側に並んで座り、石を数えている。誰が何のために作ったのか分からない15個の石の前で。