できごと

龍安寺の石庭

Ryōan-ji
AD1500年頃
年に諸説あり重要度 4
シベリアの諸集団明チベットオイラト連合ビルマの諸王国アユタヤ朝日本朝鮮王朝大越フィリピン大越カンボジアアイヌモシリラオスPeguAD1500年頃龍安寺
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1500年頃の版図を描いています(15勢力)。

概要

幅25メートル、奥行10メートルの白砂に、15の石を5つの群に置いた。木も水もない。どの位置から見ても、必ず1つは見えない。作者も、作られた年も、意図も、記録がない(石の裏に室町末期の庭師の名がある、と言われる)。江戸時代の書には「虎の子渡し」と読む説が載る。20世紀に、世界中の人がここへ来て、意味を探すようになった。

場所

龍安寺
35.03°N 135.72°E · 京都府京都市

本文

龍安寺は、京都の北西、衣笠山のふもとにある臨済宗の寺である。もとは貴族の徳大寺家の山荘で、1450年、室町幕府の管領細川勝元がこれを譲り受け、禅僧義天玄承を開山に迎えて寺とした。勝元は応仁の乱(応仁の乱)で東軍を率いた人物で、龍安寺も1468年に戦火で焼けた。1488年、勝元の子の細川政元が再興した。江戸時代の1797年にも火事で方丈などを失い、いまの方丈は、そのあと境内の塔頭の建物を移したものである。

石庭は、その方丈の南に広がる。東西25メートル、南北10メートルほどの長方形に白い砂を敷き、熊手で筋目を引いてある。そこに大小15の石が、東から五つ、二つ、三つ、二つ、三つの五つの群に分けて置かれ、石の根元には苔が生えている。三方を囲む土塀は、菜種油を混ぜて練った土で作ったと伝えられ、長い年月のうちに油がしみ出して、焼き物の肌のような斑ができた。木も、水も、花も無い。塀は低く、その向こうには境内の木々の緑がのぞく。

Japan Kyoto city urban core topographic map
Wikimedia Commons Soren Bradley · CC BY 4.0

この庭の不思議として、どこから見ても15の石のうち必ず一つが他の石に隠れて、14しか見えないとよく言われる。縁側に沿って歩きながら数えてみると、実際にどこかで一つが隠れる。ただし見る位置によっては全部見えるという人もいて、数え方には異論がある。東洋では15を満ちた数とし、一つ欠けるのは不完全を表すのだ、という読みも語られるが、これも後の解釈である。

誰が、いつこの庭を作ったのか、記録は無い。室町時代の末、細川政元が寺を再興したころとする説が有力だが、江戸時代の初めに今の形に整えられたとする説もある。足利義政に仕えた善阿弥のような作庭の名手の作とも、相阿弥や、時には禅僧の作とも語られてきた。ただ一つ手がかりがある。庭の石の一つの裏に「小太郎」「□二郎」という名が刻まれているのである。この時代、寺や武家の庭造りを担ったのは、「河原者」と呼ばれて身分の上では差別されていた造園や土木の職人たちだった。刻まれた名は、そうした職人のものではないかと考えられている。室町時代の名庭の多くは、この人々の技に支えられていた(銀閣と東山文化)。

龍安寺の襖絵
龍安寺の襖絵Wikimedia Commons Rick330 · CC BY 3.0

庭の意味についても、作り手は何も書き残していない。江戸時代の1799年に出た名所案内『都林泉名勝図会』には、この庭を「虎の子渡し」と呼ぶ説が載っている。母虎が三匹の子を連れて川を渡るとき、一匹は獰猛で他の子を食べてしまうので、どう運べば一度も子だけを残さずに済むか、という中国の話にちなみ、石を川を渡る虎の親子に見立てたものである。ほかにも、大海に浮かぶ島々、雲海から頭を出す山の峰、心の字の形、北斗の星の並び、そして禅の公案そのものだ、とさまざまな読みが出された。2002年には、石の配置の間の空いた部分が、方丈の中央から見ると木の枝分かれのような形を描いているという分析が、海外の科学誌に載ったこともある。どれも、後から見る者が加えた読みである。

石と砂だけで山水を表す庭を、枯山水と呼ぶ。鎌倉時代から室町時代にかけて、夢窓疎石と禅の庭のような禅寺の庭の中で育ってきた形で、龍安寺の石庭はそれをもっとも切り詰めたものと言える。池も滝も橋も無く、見る人に解釈をまるごと委ねている。

Kiyomizu-dera in Kyoto-r
Wikimedia Commons Oilstreet · CC BY 2.5

この庭は、昔から名高かったわけではない。江戸時代の名所案内に載ってはいたが、広く世界に知られるのは20世紀の後半である。1975年に来日したイギリスのエリザベス2世女王が訪れて庭をたたえたことが大きく報じられ、外国からの観光客が増えた。禅に関心を持つ欧米の作家や芸術家も、この庭について書いた。1994年、龍安寺は「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録された。

いま、方丈の縁側には、修学旅行の生徒と、世界中から来た観光客が並んで座り、黙って庭を眺め、ときに石を数えている。石は動かず、何も起きない。誰が何のために作ったのか分からない15の石が、五百年近く、見る者に問いを投げ続けている。

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