できごと

ヴァーラーナシーのガート

Ghats in Varanasi
AD1500年頃
年に諸説あり重要度 4
バントゥー系の人びと明キプチャク汗国白帳ハン国西アフリカの穀作農民ティムール朝の諸侯国チャガタイ汗国チベットアラブ系の人びと白羊朝ティムール朝マムルーク朝マレーのイスラム諸国オスマン帝国オイラト連合デリー・スルタン朝イスラムの諸国ビルマの諸王国Rajastanエチオピア帝国ベンガルクリム・ハン国アユタヤ朝ヴィジャヤナガル王国ハドラマウト朝鮮王朝アフマドナガル王国イスラムの都市国家群大越フィリピン大越イエメンMalaccaカンボジアマスカットオリッサBijapurラオスGolkondaPeguジョージアシンハラの諸王国AD1500年頃ヴァーラーナシー
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1500年頃の版図を描いています(42勢力)。

概要

ガンガーの左岸、川が北へ折れる場所。世界で最も古く人が住み続けている都市の一つとされる。84のガート(川へ降りる石段)。夜明けに人が沐浴し、洗濯し、祈る。マニカルニカー・ガートでは、火が絶えず燃えている。ここで焼かれ、灰を川に流されれば、輪廻から解脱できる、と信じられている。年に3万体。ブッダが最初の説法をしたサールナートは、ここから10キロ。

場所

ヴァーラーナシー
25.32°N 83.01°E · インド・ウッタルプラデシュ州

本文

ガンガー(ガンジス川)は、ヒマラヤから下って北インドの平原を東へ流れ、ベンガル湾に注ぐ。その途中のヴァーラーナシーで、川は大きく弧を描き、しばらく北へ向かって流れる。ヒンドゥー教では北は聖なる方角で、シヴァ神が住むとされるカイラス山もヒマラヤの奥にある。川が聖なる山のほうへ向き直るこの場所の西岸に、古い都市が築かれた。

町の名は、北を流れるヴァルナー川と南のアッシー川に挟まれていることから来たという説がある。古くは「カーシー」、光の町とも呼ばれ、イギリス統治の時代には「ベナレス」と呼ばれた。北郊のラージガートの発掘では、紀元前1千年紀の前半から人が住み続けてきた跡が見つかっており、世界で最も古くから途切れずに人が住んでいる町の一つに数えられる。ただし同じ主張は、エリコやダマスカスなどにもある。

崩れかけたガンジス河畔の寺院(ヴァーラーナシー、1906年頃)
崩れかけたガンジス河畔の寺院(ヴァーラーナシー、1906年頃)Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

ガートとは、川岸から水際へ降りる石段のことである。ヴァーラーナシーの川岸には、南北数キロにわたって80を超えるガートが並ぶ。数え方によって84とも88ともいわれる。いまの石段や、その上にそびえる館や寺院の多くは18世紀以降のもので、ムガル帝国が衰えたあと、マラーターの諸侯やラージプートの王侯、裕福な商人たちが、競うようにして建て、建て直した。石段一つひとつに名と由来があり、それぞれ違う神や伝説に結びつけられている。

朝は、日の出の前から始まる。人々は石段を降りて川に身を浸し、両手で水をすくって昇る太陽に捧げ、頭まで沈み、祈りの言葉を唱える。そのすぐ横では洗濯人が布を石に打ちつけ、理髪師が客の頭を剃り、修行者が瞑想し、ヨーガをする人がいる。花と小さな灯明を葉の皿に載せて流す人もいる。ガンガーの水は罪を洗い流すと信じられ、上流のハリドワールや、三つの川が合流するプラヤーグラージと並んで、ここは巡礼の大きな目的地である。夕暮れには、ダシャーシュワメード・ガートで、灯明を掲げて川を拝む儀式が毎晩行われ、多くの巡礼者と旅行者が見守る。

ボーンサレー・ガート(ヴァーラーナシー)
ボーンサレー・ガート(ヴァーラーナシー)Wikimedia Commons Eric Laurent from Le Havre, FRANCE · CC BY 2.0

ガートの中には、火葬の場が二つある。マニカルニカー・ガートとハリシュチャンドラ・ガートだ。マニカルニカーでは薪が積まれた火葬台から煙が絶えず上がり、ここの火は何百年も消えたことがないと土地の人は言う。ヴァーラーナシーで死に、ここで焼かれれば、輪廻の繰り返しから解き放たれると信じられている。シヴァ神が死にゆく者の耳に救いの言葉をささやくからだという。火葬のしきたりと、それを担ってきた人々については、別の項目に詳しい(ヴァーラーナシーの火葬)。

この信仰のために、死を迎えるためにこの町へ来る人がいる。町には「解脱の家」と呼ばれる宿がいくつかあり、死期の近い人が家族とともに泊まって、その時を待つ。滞在は2週間ほどを限りとし、その間に亡くならなければいったん家へ帰る、という決まりの宿もある。死はこの町では隠すものではなく、日々の風景の一部になっている。

ダシャーシュワメード・ガートでのガンガー・アールティー(礼拝式)
ダシャーシュワメード・ガートでのガンガー・アールティー(礼拝式)Wikimedia Commons https://www.flickr.com/photos/u-suke/ · CC BY 2.0

ここは同時に、生きている人の大きな町でもある。人口は100万を超え、川岸の裏には人ひとりがやっと通れる細い路地が迷路のように続き、寺院、菓子屋、真鍮の器の店、絹の織物の店が並ぶ。金糸を織りこんだ絹の「バナーラシー・サリー」は婚礼の衣装として名高く、その織り手の多くはムスリムの職人である。1916年には、ヒンドゥー教徒の大学として、バナーラス・ヒンドゥー大学が創立された。

宗教の歴史も幾重にも重なっている。北へ約10キロのサールナートは、悟りを開いたゴータマ・シッダールタが初めて教えを説いた場所で、のちにアショーカ王王がそこに石柱を建てた。その柱頭の四頭の獅子は、いまインドの国章になっている。15世紀には、ヒンドゥーとイスラームの垣根を越えて神を歌った詩人カビールがこの町で暮らした(カビールの詩)。16世紀には詩人トゥルシーダースが、ここでラーマ王の物語をヒンディー語の詩に書いたとされる。

バチラージ・ガート(ジャイン・ガート)
バチラージ・ガート(ジャイン・ガート)Wikimedia Commons Jeff Hart · CC BY 2.0

町の中心のシヴァの寺、ヴィシュヴァナート寺院は、何度も壊されては建て直された。1669年、ムガル皇帝アウラングゼーブは寺院を壊させ、その跡にギャーンヴァーピー・モスクを建てた。いまの寺院は1780年にマラーターの女王アヒリヤーバーイー・ホールカルが隣に再建したもので、のちにシク王国のランジート・シングが屋根を金で覆った。寺とモスクは壁を接して立ち、その帰属をめぐる訴訟は今も続いている。

ガンガーの汚染も、この町の大きな問題である。上流からの工業排水、町の下水、流される遺灰と遺体が川を汚し、1980年代から国を挙げた浄化の計画が何度も立てられてきた。聖なる川であることと、汚れた川であることが、同じ水の中で同居している。

マニカルニカー・ガートで行われる火葬
マニカルニカー・ガートで行われる火葬Wikimedia Commons https://www.flickr.com/photos/fyunkie/ · CC BY 2.0

1896年にこの町を訪れたアメリカの作家マーク・トウェインは、ベナレスは歴史より古く、伝統より古く、伝説より古く、それらを全部合わせたものの2倍も古く見える、と書いた。石段の多くは300年ほど前のものにすぎない。それでも、そこで繰り返される祈りと沐浴と火葬は、はるかに長い時間を受け継いでいる。

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