概要
フランス王シャルル8世がナポリを囲んだ軍の中で新しい病が出た。傭兵がヨーロッパ中に運んだ。フランスは「ナポリ病」、イタリアは「フランス病」と呼んだ。コロンブスの船員がアメリカから持ち帰ったという説と、前からあったという説が、いまも決着していない。
場所
40.85°N 14.27°E · イタリア
本文
1494年、シャルル8世がアルプスを越えた。ナポリ王国を取りに。2万5000。 1495年2月、ナポリに入った。 兵の中で病が出た。膿疱、潰瘍、骨の痛み。顔が崩れた。 「これまで見たことのない病」。 3月、神聖ローマ、スペイン、ヴェネツィア、教皇が同盟し、シャルルは帰った。フォルノーヴォで戦って抜けた。 傭兵が散った。スイス、ドイツ、フランス、スペイン。 1496年、ドイツ、フランス。1497年、イングランド、スコットランド。1498年、インド。1505年、中国。 「ナポリ病」。フランスで。「フランス病」。イタリア、ドイツ、イングランドで。「スペイン病」。オランダで。「ポーランド病」。ロシアで。「キリスト教徒の病」。トルコで。「ポルトガル病」。日本で。「唐瘡」「琉球瘡」。日本で。 誰も自分の名をつけなかった。 1530年、フラカストロの詩『シフィリス、あるいはフランス病』。羊飼いシフィルスが太陽神を怒らせて罰を受けた。名前になった。 「梅毒」。中国で「楊梅瘡」。梅の実に似た発疹。
どこから来たか。 コロンブスの船員。1493年に帰った。1494年にバルセロナで。ナポリの軍にスペインの兵がいた。「コロンブス説」。 アメリカの先住民の骨に梅毒の跡がある。コロンブス以前の。 ヨーロッパの骨に、1493年以前の梅毒の跡があるか。あるという報告と、ハンセン病や別の病だという反論。 「前からあった説」。1495年に急に悪性になった。 2020年、DNA。1495年以前のヨーロッパの骨からトレポネーマ。だが梅毒かどうか。 決着していない。 新大陸から来た「コロンブス交換」の、逆向きの一つ、と言われ続けている。
水銀。「ヴィーナスと一夜、水銀と一生」。 1910年、エールリヒと秦佐八郎のサルバルサン。606号。 1943年、ペニシリン。 2023年、世界で年800万人が新しく感染している。増えている。