概要
炭鉱夫の子。18歳まで字が読めなかった。炭鉱の機関の修理。1814年、機関車ブリュッヘル号。1825年、ストックトン・ダーリントン鉄道のロコモーション号。1829年、息子ロバートとロケット号。1830年、リヴァプール・マンチェスター。線路の幅4フィート8.5インチ(1435ミリ)を決めた。世界の鉄道の6割が、いまもこの幅。「鉄道の父」。
関わったできごと(2)
鉄道の開業AD1825年9月27日 · 機関車ロケット号とレインヒルAD1829年10月6日 · 作った本文
1781年、ノーサンバーランドのワイラム。炭鉱の蒸気機関の火夫の子。学校に行かなかった。14歳で炭鉱で働き、18歳で夜学に通って字を習った。機関の修理が上手かった。1811年、キリングワース炭鉱の排水ポンプを直して、機関技師になった。1815年、坑内の安全灯を作った(デーヴィーと同時期で、争いになった。デーヴィーは王立協会の会員で、スティーブンソンは字が下手な炭鉱夫だった)。
1814年、機関車ブリュッヘル号。炭鉱の石炭を運ぶ。歯車でなく、平らな車輪と平らなレールの摩擦で走る。1821年、ストックトン・ダーリントン鉄道の技師に。1825年9月27日、ロコモーション号が客車と貨車を引いて開通した。時速24キロ。世界最初の公共鉄道。
1826年、リヴァプール・マンチェスター鉄道。チャット・モス(湿地)に線路を敷いた(枝と石を沈めて浮かせた)。1829年、レインヒル。ロケット号は息子ロバート(23歳でニューカッスルの機関車工場を任された)の設計が大きい。1830年、開通。
1830年代、イギリス中の鉄道の技師。バーミンガム、ダービー、ヨーク、シェフィールド。ベルギーとスペイン。「鉄道の父」。土木技師協会の会員資格を断り(試験を受けるのを嫌った)、機械技師協会を作った(1847年)。
軌間。キリングワースの炭鉱の馬車の幅、4フィート8インチ。それに半インチ足して、4フィート8.5インチ(1435ミリ)。彼が敷いた鉄道が多かったので、それが標準になった(1846年の法律)。ブルネルのグレート・ウェスタン鉄道は7フィートで、速く安定していたが、負けた。いま世界の鉄道の6割が1435ミリ。ローマの馬車の幅だ、という話は作り話。
1848年8月12日、チェスターフィールドで死んだ。67歳。息子ロバートは、鉄道と橋(メナイ橋、ニューカッスルのハイ・レベル橋)で、父より大きな技師になった。