聴診器
概要
それまで、胸の音を聞くには、患者の胸に直接、耳を当てるしかない。1816年、ルネ・ラエンネックは、太った若い女性を診るのに、それをためらった。彼は紙を丸めて筒にし、一端を胸に、一端を耳に当てた。直接聞くより、はるかによく聞こえた。木で作り直し、三年かけて音と病変を対応づける。心雑音、ラッセル音、そして胸膜の摩擦音。解剖で確かめた。診察が、患者の言葉を聞くことから、体の内部を読むことへ移る。彼自身は結核で四十五歳で死んだ。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(1)
ルネ・ラエンネックAD1781年2月17日–AD1826年8月13日 · 作った本文
胸の中の音を聞いて病を探るという考えは、古くからあった。古代ギリシアの医学をまとめたヒポクラテス集典と医の誓いには、患者の胸に耳を当てたり、体を揺すって胸にたまった水の音を聞いたりする方法が記されている。だがこの方法は、十八世紀まで、ほとんど使われなかった。聞こえる音が何を意味するのか分からなかったうえ、当時の医学は体の中を調べることより、患者が語る症状と、脈や尿の観察を重んじていた。病は体液の釣り合いの乱れと考えられていたからである。それに、見知らぬ患者の胸に直接耳を押し当てるのは、衛生の面でも、とりわけ女性の患者では礼儀の面でも、ためらわれた。
先駆けになったのは打診法である。1761年、ウィーンの医師レオポルト・アウエンブルッガーは、胸を指で叩いて、その響き方から中の状態を推し量る方法を発表した。宿屋の主人だった父が、樽を叩いて中の酒の残りを確かめていたのが着想のもとだったという逸話がある。この方法は半世紀近く顧みられなかったが、ナポレオン・ボナパルトの侍医でもあったパリの医師コルヴィザールが1808年にその本をフランス語に訳して紹介し、広めた。そのコルヴィザールのもとで学んだのが、ブルターニュ出身の若い医師ルネ・ラエンネック(1781〜1826年)である。

1816年、パリのネッケル病院で、ラエンネックは心臓の病を疑われる若い女性を診ていた。患者はふくよかで、打診では胸の中の様子がよく分からない。かといって、年齢と性別を考えれば、胸に直接耳を当てるのは許されないと思われた、と彼は書いている。そのとき思い出したのが、子どもたちの遊びだった。長い木の棒の片方の端を針で引っかくと、もう片方の端に耳を当てた子にその音がはっきり届く。音が固い物を伝わるという、よく知られた事実である。
ラエンネックは紙を何枚か重ねてきつく丸め、筒にした。片方の端を患者の胸に、もう片方を自分の耳に当てた。驚いたことに、心臓の動きは、耳を直接当てたときよりもはるかにはっきりと聞こえた。彼はその後、筒を木で作り直した。長さ三十センチほどの中空の円筒で、二つに分けて持ち運べ、先端には付け替えのできる部品があり、それを替えることで心臓の音にも肺の音にも合わせられた。ラエンネックはこれを、胸を意味するギリシア語と、調べるを意味する語を合わせて、ステトスコープと名づけた。

本当の仕事はそこから始まった。何が聞こえるかではなく、その音が体の中の何に対応しているのかを確かめなければならない。ラエンネックは患者の胸の音を聞いて記録し、その患者が亡くなると解剖して、音と病変とを突き合わせた。当時のパリの大病院には結核をはじめ重い肺の病の患者が大勢おり、この作業を三年にわたって繰り返した。そのなかで、彼は聞こえる音に名前を付けていった。気道の中の湿った音、いびきのような低い音、髪の毛をこすり合わせるような細かな音、患者の声が胸を通して山羊の鳴き声のように響く音、ささやき声が胸の上ではっきり聞こえる現象。そうした呼び名の多くは、いまも医学の言葉として使われている。
1819年、ラエンネックは研究の成果を二巻の本にまとめて出版した。間接に聴く方法による肺と心臓の病の診断を論じたもので、注文すれば木の聴診器が一本添えられた。本と道具を一緒に売ったのである。評価は分かれた。すばらしい方法だと飛びつく医師がいる一方で、自分の耳があるのになぜ木の筒が要るのか、聞こえるものが多すぎてかえって混乱する、と冷ややかな医師もいた。聴診器がどこの医師にも行き渡るまでには、数十年かかった。

ラエンネック自身は、聴診器で数多くの結核患者を診たが、彼もまた結核にかかった。結核が転地と安静で治療されるようになるのは、もう少し後の時代である(サナトリウム)。1826年、故郷のブルターニュに戻り、四十五歳で世を去った。晩年には自分の胸の音を甥に聞かせ、病の進み具合を確かめたとも伝えられる。
聴診器が変えたのは、診察の性質だった。それまで医師は、患者の言葉を聞き、どこがどう痛むのかを手がかりに、それを体液の理論に当てはめていた。聴診器の後、医師は患者の体を直接読むようになる。患者が何と言おうと、胸の音は音であり、その音は体内の特定の場所の病変を指している。フランスの哲学者ミシェル・フーコーは1963年の『臨床医学の誕生』で、この時代に病が症状の寄せ集めから体内の特定の場所の傷として捉え直され、患者が語る人から読まれる体へと移っていったと論じた。この解釈には異論もあるが、医師と患者の関係のどこかが変わったことは確かである。

聴診器の形はその後も変わっていった。1851年にはアイルランドの医師アーサー・リアードが両耳で聞く型を作り、翌年アメリカのジョージ・キャマンがそれを実用的な形にした。二十世紀の半ばには、アメリカの心臓病の専門医デイヴィッド・リットマンが、軽くて感度の高い聴診器を設計し、その名はいまも製品の名前として残っている。電子の聴診器も現れ、録音した音を計算機で解析することもできるようになった。
それでも基本の仕組みは、二百年前と変わっていない。画像診断の機械が体の中を細かく映し出すようになったいまも、紙を丸めた筒の子孫は医師の首にかかっている。それは医師という職業を表す、もっとも分かりやすい記号になった。