概要
マイソールのティプー・スルタンは4回イギリスと戦った。フランスと組み、ナポレオンがエジプトから手紙を書いた。ロケット弾でイギリス兵を驚かせた(コングリーヴがそれを真似た)。1799年、ウェルズリー兄弟が囲み、ティプーは城壁の門で戦って死んだ。「ティプーの虎」(イギリス兵を虎が食う仕掛けのオルガン)はロンドンの博物館にある。
場所
12.42°N 76.69°E · インド・カルナータカ州
関わった人(1)
ティプー・スルタンAD1751年11月20日–AD1799年5月4日 · 門で死んだ本文
マイソールは南インドのヒンドゥーの王国で、1761年、ムスリムの軍人ハイダル・アリーが実権を取った。フランス人の将校を雇って軍を近代化した。1767〜69年、第一次マイソール戦争。マドラスの城壁の前まで来て、会社に和平を飲ませた。1780〜84年、第二次。息子ティプーが会社の軍を潰し(ポリルール)、ハイダルが死んで、ティプーが継いだ。マンガロール条約。
ティプー。「マイソールの虎」。虎の縞の軍服、虎の玉座、虎の紋章、虎の刻印の銃。ロケット部隊(鉄の筒に火薬、竹の棒、射程2キロ。5000人)。絹産業、灌漑、貨幣、暦、度量衡、新しい役所。フランス革命に共感して、ジャコバン・クラブをセリンガパタムに作り、「市民ティプー」と呼ばれた。1798年、ナポレオンがエジプトから手紙を書いた。「あなたをイギリスの鉄の軛から解放するために」。届かなかった。
1790〜92年、第三次。コーンウォリス(アメリカでヨークタウンで降伏した人)がセリンガパタムを囲み、ティプーは領土の半分と、息子2人を人質に出した。
1799年、第四次。総督リチャード・ウェルズリーは、ナポレオンの手紙を口実にした。弟アーサー(のちのウェリントン)とハリス将軍が5万で来た。4月、セリンガパタム(カーヴェリ川の中州の要塞)を囲んだ。5月4日午後、城壁の破れ目から突撃した。ティプーは北の門で戦った。負傷して、担がれて、門の下で兵が首飾りを取ろうとして、撃った。48歳。イギリス兵が3日略奪した。
「ティプーの虎」。虎がイギリス兵を食い、中のオルガンが虎の唸り声と兵の悲鳴を出す仕掛け。ロンドンへ持ち帰られ、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館。
イギリスはマイソールのヒンドゥーの王家(ワディヤール)を戻して藩王国にした。ロケットは、ウィリアム・コングリーヴが研究して1804年に「コングリーヴ・ロケット」を作った。「ロケットの赤い閃光」(アメリカ国歌、1814年)はそれ。
インドではティプーは英雄で(カルナータカで誕生日を祝う)、ヒンドゥー教徒を改宗させ、寺を壊した暴君だ、とも言われる。両方、史料がある。