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Event / できごと

赤穂事件

The Akō incident
1701年 – 1703年
期間を持つできごと重要度 4

概要

主君の刃傷で家を取り潰された47人が、1年9か月後に吉良邸を襲い、そろって切腹した。忠義と法のどちらを取るかで幕府は割れ、以後300年、日本人が繰り返し語り直す物語になる。

場所

江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)

関わった人(1)

徳川綱吉AD1646年2月23日–AD1709年2月19日 · 切腹を命じた

本文

1701年、江戸城の松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が高家吉良上野介に斬りかかった。 理由は分かっていない。

その日のうちに浅野は切腹、赤穂藩は取り潰された。 吉良にはお咎めが無かった。 喧嘩両成敗という当時の常識からは、片手落ちに見えた。

1年9か月後の12月14日、旧赤穂藩士47人が吉良邸を襲い、首を取った。 そのまま泉岳寺の主君の墓に供え、幕府の裁定を待った。

幕府は割れた。 主君への忠義は武士の本分である。 しかし徒党を組んで人を殺すのは法に反する。 儒学者のあいだでも意見が分かれた。

2か月後、46人が切腹を命じられた。 罪人としての斬首ではなく、武士としての切腹だった。 どちらの理屈も立てた裁定になる。

事件はすぐに芝居になり、 『仮名手本忠臣蔵』として300年演じられ続けている。 ベネディクトは『菊と刀』で、これを義理の説明に使った。

出典(1)

ルース・ベネディクト(長谷川松治 訳) 菊と刀 日本文化の型第7章(義理ほどつらいものはない)

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