『ロランの歌』

概要
778年、シャルルマーニュの後衛がピレネーのロンスヴォーでバスク人に襲われて全滅した。300年後、それがサラセン人との戦いになって、4002行の歌になった。ロラン、オリヴィエ、大司教テュルパン、裏切り者ガヌロン、角笛オリファン、剣デュランダル。「異教徒は間違っていて、キリスト教徒は正しい」。武勲詩の最初で最高。ヘイスティングズの前に、ノルマンの吟遊詩人が歌った、と伝える。オックスフォードの写本。
場所
43.01°N -1.32°E · スペイン・ナバラ州
関わった人(1)
カール大帝AD748年頃–AD814年 · 皇帝本文
物語のもとになった出来事は、小さな敗戦だった。778年、フランク王カール(カール大帝)は、イスラーム勢力の内紛に乗じてスペインへ兵を進めたが、サラゴサを落とせずに引き返した。8月15日、ピレネーの峠ロンスヴォーで、軍の最後尾と荷駄の列が山の民に襲われ、全滅した(ロンスヴォーの戦い)。襲ったのはムスリムではなく、キリスト教徒のバスク人だったと考えられている。カールの伝記を書いたアインハルトは、この戦いで死んだ者の名を三人挙げ、その中に「ブルターニュ辺境の長官フルオドランドゥス」がいた。ロランについて同時代に近い記録が語るのは、ほとんどこの一行だけである。
それから300年ほどのあいだに、この敗戦は歌われ、語られるうちに姿を変えた。山の民の襲撃はサラセン人(ムスリム)の大軍との戦いに、後衛の全滅はキリスト教の信仰を守る殉教に変わった。ロランは皇帝の甥にして最強の騎士となり、友のオリヴィエ、剣をとって戦う大司教テュルパン、そして一行を敵に売る裏切り者ガヌロンが加わった。皇帝カールは、白い髭をたくわえた二百歳を超える老王として描かれる。歌が今の形に近づいたのは11世紀の終わり頃とされる。イベリア半島でキリスト教徒の王国がイスラーム勢力に攻勢をかけ、教皇が聖地への出兵を呼びかけた(十字軍の呼びかけ)時代だった。

伝わる写本のうち最も古く、最も優れたものは、オックスフォードのボドリアン図書館にある12世紀の写本である。古いフランス語の、イングランドで使われたノルマン方言で書かれ、4002行、10音節の詩行を母音の響きを揃えて束ねた、290余りの詩節から成る。この写本が19世紀の前半に学者フランシスク・ミシェルによって刊行され、フランス最古の叙事詩として広く知られるようになった。最後の行は、ここでトゥロルドゥスの語る物語は終わる、と読める。トゥロルドゥスが作者なのか、写した者なのか、歌った者なのかは分かっていない。
筋はこうである。カールは7年にわたってスペインで戦い、残る敵はサラゴサのマルシル王だけになった。マルシルは偽りの降伏を申し出る。誰を使者に立てるかで、ロランは継父のガヌロンを推した。危険な役目に送られたと恨んだガヌロンは、敵と手を組み、帰途につくカール軍の後衛をロランに任せるよう仕向ける。ロンスヴォーの谷で、ロランの二万の兵は、サラセンの大軍に囲まれた。

オリヴィエは三度、角笛を吹いて皇帝を呼び戻せと勧める。ロランは、吹けば恥になると拒む。ロランは勇敢で、オリヴィエは賢い、と歌は言う。フランクの兵は次々に倒れ、オリヴィエも傷ついて死ぬ。もはや勝ち目が無くなってから、ロランはようやく角笛オリファンを吹いた。力を込めすぎて、こめかみが裂け、口から血が流れる。遠くでその音を聞いたカールは軍を返した。ロランは、聖遺物を柄に納めた名剣デュランダルを敵に渡すまいと岩に打ちつけるが、剣は折れず、岩が割れる。死を前にしたロランは、敵の方角に顔を向けて横たわり、右の手袋を神に差し出す。天使たちがその魂を天へ運んでいく。
駆けつけたカールのために神は日を止め、カールはサラセンの軍をエブロ川へ追い落とす。続いて東から来た異教徒の総大将バリガンとの一騎打ちにも勝つ。この後半は、のちに付け加えられたとする説もある。都に戻ると、ロランの許嫁でオリヴィエの妹のオードは、知らせを聞いてその場で息絶える。ガヌロンは裁きにかけられ、決闘裁判で味方が敗れたのち、四頭の馬に引き裂かれる。物語の終わり、天使ガブリエルが新たな戦いを告げに来ると、老いた皇帝は、わが人生はなんと苦しいことかと嘆き、白い髭をかきむしって泣く。

歌は、異教徒は誤っていてキリスト教徒は正しい、と言い切る。ムスリムたちはアポロンやマホメットなどの偶像を拝む多神教徒として描かれ、それは現実のイスラームの姿とはかけ離れている。キリスト教の騎士の忠誠と名誉、そして「うるわしのフランス」への愛を歌う一方で、十字軍の時代の敵意をそのまま映した作品でもある。
イングランドの歴史家ウィリアム・オブ・マームズベリは、12世紀の前半に、1066年のヘイスティングズの戦いの前にノルマンの軍でロランの歌が歌われたと書いた。のちの詩人ワースは、タイユフェルという芸人が馬上で剣を投げ上げながらロランを歌い、真っ先に敵陣へ切り込んだと記している。事実かどうかは確かめられないが、それほどこの歌が知られていたことは分かる。

『ロランの歌』は、武勲詩と呼ばれる叙事詩の代表であり、最初の傑作とされる。カールとその騎士たちの物語は、ドイツ語、北欧の言葉、ウェールズ語などに移され、ルネサンスのイタリアでは、ボイアルドとアリオストがロランをオルランドの名で恋と魔法の冒険の主人公にした。19世紀のフランスでは国民の叙事詩として学校で読まれ、第一次世界大戦の兵士たちにも引かれた。ロンスヴォーの峠には、いまもロランを記念する碑が立っている。