概要
ハサン・サッバーフがエルブルズの岩の城を取った。「鷲の巣」。ファーティマ朝のカリフの後継争いで兄ニザールの側に立ち、独自の教団に。フィダーイーが宰相ニザームルムルクを刺した。「アサシン」。35年、城を出なかった。1256年、モンゴルが落とした。
場所
36.44°N 50.59°E · イラン
関わった人(1)
ハサン・サッバーフAD1050年頃–AD1124年 · 城を取った本文
ハサン・サッバーフはカイロで、ファーティマ朝のカリフ・ムスタンスィルの長男ニザールを次のイマームだと支持した。1094年、カリフが死んで弟のムスタアリーが立ち、ニザールは殺された。ニザール派。ハサンは1090年、その4年前に、すでにペルシアの山に城を持っていた。
アラムート。「鷲の巣」。エルブルズ山脈、カズヴィーンの北、標高2100メートルの岩の上。城主を改宗させ、城の中に人を入れて、9月4日、城を取った。城主に3000ディナールの手形を渡した。金で買った、と伝わる。
ハサンは35年、城を出なかった。家からも出なかった。屋根に2度上っただけ。妻と娘は他の城へ送った。息子二人を処刑した。一人は殺人、一人は酒。城の中で本を書き、教義を作った。「タアリーム」。イマームの権威ある教えなしに真理は知れない。
セルジューク朝が攻めた。落ちなかった。1092年10月、宰相ニザームルムルクが旅の途中、スーフィーの格好の男に刺された。ニザール派のフィダーイー(自らを捧げる者)。最初の暗殺。それから、カリフ、スルタン、アタベク、十字軍の伯爵。刺される人は、自分の側近が刺客だったことを死ぬときに知った。
「ハッシャーシーン(ハシシを吸う者)」。敵がつけた蔑称で、十字軍がヨーロッパへ持ち帰り、「アサシン(暗殺者)」になった。マルコ・ポーロは、山の老人が若者に楽園の庭を見せてから殺しに行かせる、と書いた。作り話。
1256年、フレグのモンゴル軍が来た。最後のイマーム、ルクヌッディーンが降り、城は壊され、図書館は焼かれた。歴史家ジュワイニーが焼く前に本を選んで持ち出した。それが史料。