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Event / できごと

カルティエのセントローレンス川

Cartier explores the St. Lawrence
AD1535年
重要度 3

概要

フランスの船乗りが川を遡り、イロコイ語の「村」を意味する言葉から「カナダ」と呼んだ。冬に壊血病で25人を失い、先住民が松の煎じ汁を教えた。金を持ち帰れず、フランスは70年、そこを忘れた。

場所

ケベック
46.81°N -71.21°E · カナダ

関わった人(1)

ジャック・カルティエAD1491年–AD1557年9月1日 · 船長

本文

サン・マロ。 ブルターニュ。 1534年、 フランソワ1世が「金と、 アジアへの道を」。 4月20日、 2隻、61人。 20日でニューファンドランド。 セントローレンス湾。 ガスペ半島。 7月24日、 十字架を立てた。 「フランス王万歳」。 イロコイの首長ドンナコナが抗議した。 カルティエは息子二人を連れて帰った。 「通訳にする」。

1535年、 二度目。 3隻。 息子二人が案内した。 川。 「カナダ」。 「カナタ」。 村。 イロコイ語。 スタダコナ(ケベック)。 ドンナコナの村。 さらに遡って、 ホチェラガ(モントリオール)。 10月2日。 「モン・ロワイヤル」。 王の山。 丘から見た。 急流。 「ラシーヌ」。 中国。 そこまで行けないと分かった。 戻って、越冬した。 スタダコナ。 壊血病。 110人のうち、 25人が死んだ。 ほとんど全員が病んだ。 ドミナガヤ。 ドンナコナの息子。 「アネダ」の木。 白い杉か、 ツガか。 煎じて飲ませた。 1週間で治った。 「すべての医者が、 一年かかっても、 できないことを」。 カルティエは書いた。 1536年5月、 ドンナコナと9人を、 また連れて帰った。 「王に会わせる」。 全員、フランスで死んだ。 一人を除いて。 10歳の少女。

1541年、 三度目。 ロベルヴァルの下で。 「金とダイヤモンド」。 ケベックの上流。 シャルルブール・ロワイヤル。 入植地。 翌年、 樽に「金」と「ダイヤモンド」を積んで帰った。 黄鉄鉱と石英。 「カナダのダイヤモンドのように偽物」。 フランスのことわざになった。 ロベルヴァルの入植地は、1年で捨てられた。 フランスは1608年まで、 カナダに戻らなかった。 シャンプラン。 カルティエは、 サン・マロの近くの荘園で死んだ。 1557年。 ペストの年。

同じ時代のできごと

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