概要
エジプトへ行くはずが、ヴェネツィアへの船賃を払えず、ザラを落とし、ビザンツの亡命皇子に雇われ、コンスタンティノープルを3日略奪した。聖ソフィアに娼婦を座らせた。四頭の馬はヴェネツィアへ。ラテン帝国57年。ビザンツは1261年に戻ったが、二度と大きくならなかった。
場所
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール
本文
1198年、インノケンティウス3世。37歳。「十字軍」。 1199年、エクリの騎馬試合。シャンパーニュ伯ティボー。ブロワ伯。フランドル伯ボードゥアン。 1201年、ヴェネツィア。エンリコ・ダンドロ。90歳近く。盲目。 「3万3500人を運ぶ船。8万5000マルク」。 「エジプトへ」。秘密。エジプトを取れば、エルサレムは。 ティボーが死んだ。ボニファーチョ・ディ・モンフェッラート。 1202年夏、ヴェネツィア。集まったのは1万2000。金は3万4000足りない。 ダンドロ。「ザラを取ってくれ。借りは待つ」。ザラ。ハンガリー王のもの。ハンガリー王は十字軍の誓いをしていた。 11月、ザラ。5日。落とした。 教皇は破門した。ヴェネツィア人だけ。 アレクシオス。ビザンツの皇帝イサキオス2世の子。叔父に父が目を潰されて廃された。逃げてきた。 「私を皇帝にしてくれ。20万マルク。1万の兵。ギリシア教会をローマの下に」。 1203年6月、コンスタンティノープル。 7月、アレクシオス3世が逃げた。イサキオスとアレクシオス4世。 金がない。教会の器を溶かした。 市民が怒った。 1204年1月、アレクシオス5世ムルツフロス。アレクシオス4世を絞め殺した。 3月、「分配の協定」。「帝国を分ける」。 4月9日、攻めた。負けた。 4月12日、また。金角湾。壁の塔。 4月13日、街の中。 3日。 「これほど多くの略奪品は、世界の始まりから」。ヴィルアルドゥアン。 聖ソフィア。祭壇の銀を割った。ラバを入れて運んだ。娼婦が総主教の座に座って歌った。 ニケタス・コニアテス。「サラセン人の方がまし」。 聖遺物。茨の冠、真の十字架、聖骸布。ヨーロッパ中の教会へ。 四頭の馬。サン・マルコ。 ボードゥアン。ラテン皇帝。 ダンドロ。「ローマ帝国の8分の3の主」。 ヴェネツィア。クレタ、エウボイア、島々。 ニカイア、エピロス、トレビゾンド。 1261年、ミカエル8世。 教皇は「あなたたちは、東の教会をラテンに背かせた」。 「十字軍がキリスト教徒の帝国を潰した」。 「東西の教会は、それで、和解できなくなった」。 2001年、ヨハネ・パウロ2世が謝った。 2004年、800年。バルトロメオス総主教。「800年で初めての謝罪。受け入れる」。 馬は、いまサン・マルコの中に。外のは複製。