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Event / できごと

フランチェスコ会の認可

Approval of the Franciscan Rule
AD1209年
重要度 5

概要

布商人の息子が父の前で服を脱いで捨て、「私の父は天の父だけ」。何も持たず、乞食をし、鳥に説教した。11人でローマへ。インノケンティウス3世が口頭で認めた。10年で5000人。金を持たない修道会が、中世で最も金の集まる修道会になった。

場所

アッシジ
43.07°N 12.62°E · イタリア

関わった人(1)

アッシジのフランチェスコAD1181年–AD1226年10月3日 · 創始

本文

1181年か1182年。アッシジ。 ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ。布商人。フランスで商売。「フランチェスコ」。フランス人。 母ピカ。 1202年、ペルージャとの戦争。捕虜。1年。 病気。 1205年、南へ。騎士に。スポレートで夢。「主人と召使い、どちらに仕えるか」。帰った。 「ハンセン病者」。馬から降りて、口づけした。 サン・ダミアーノ。十字架。「フランチェスコ、私の家を直せ」。 父の布を売った。 父が怒った。司教の前。 「私はこれまで、ピエトロ・ディ・ベルナルドーネを父と呼んだ。今から、天の父を」。 服を全部脱いだ。司教がマントで包んだ。 1208年2月24日。ポルツィウンコラ。マタイ10章。「金も銀も持つな。袋も、二枚の下着も、履物も、杖も」。 「これが私の望んだこと」。 ベルナルド。ピエトロ。エギディオ。 11人。 1209年、ローマ。インノケンティウス3世。 「乞食の一団」。 「教皇は夢で、ラテラノ教会が傾くのを、一人の小さな男が支えるのを見た」。ジョットが描いた。 口頭で。「戻ってきなさい。神が増やしたら」。 「小さき兄弟」。フラトレス・ミノーレス。 1212年、クララ。 1219年、エジプト。ダミエッタ。スルタン、アル・カーミル。「火の試練」。スルタンは断った。「帰りなさい」。 「私は帰った」。 1221年、「第一の会則」。 1223年、「第二の会則」。教皇ホノリウス3世。「所有せず」。 グレッチョ。馬小屋。「クリスマスの飼い葉桶」。 1224年、ラ・ヴェルナ。聖痕。 「太陽の讃歌」。「兄弟なる太陽、姉妹なる月、兄弟なる風、姉妹なる水、兄弟なる火、母なる大地、姉妹なる死」。 「ウンブリア語で。最初のイタリア語の詩、と」。 1226年10月3日。ポルツィウンコラ。裸で地面に。 44歳。 1228年7月16日。聖人。 1228年から、アッシジの大聖堂。 「彼は建物を望まなかった」。 1230年。エリア。 「会則」。「所有」。「清貧」。 「霊性派」と「共住派」。 「教皇は『使用と所有は違う』と言い、次の教皇は『それは異端』と言った」。 「フランチェスコ会が、所有の哲学を」。 1517年、分裂。 2013年、「フランチェスコ」。教皇が初めてその名を。 「鳥に説教した」。 「グッビオの狼」。 「彼は、鳥と狼と太陽と死を、兄弟と呼んだ」。

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