できごと

残響を測る

Measuring reverberation
AD1900年
重要度 4
大英帝国カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国グリーンランドメキシコスペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国グアテマラAD1900年ボストン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1900年の版図を描いています(9勢力)。

概要

ハーヴァード大学の新しい講堂が、極端に聞き取りにくい。若い物理学者ウォーレス・セイビンが原因の調査を任された。夜、彼はオルガンの音管を鳴らし、止め、消えるまでの時間を耳と時計で測った。座布団を運び込んでは測り、人を座らせては測る。数千回。そして残響時間が、部屋の容積に比例し、吸音の総量に反比例することを見出した。式が一本できたことで、建てる前に響きを計算できるようになる。1900年のボストン交響楽ホールが、その最初の適用である。

場所

ボストン
42.36°N -71.06°E · アメリカ・マサチューセッツ州

関わった人(1)

ウォーレス・セイビンAD1868年6月13日–AD1919年1月10日 · 測った

本文

1895年、ハーヴァード大学に新しく建ったフォッグ美術館の講堂は、話がまるで聞き取れなかった。講師が一つの音節を発すると、その響きが消えないうちに次の音節が重なり、言葉が団子になって何を言っているのか分からない。建物はもう建ってしまっていた。困った大学当局は、この問題を若い物理学者に押しつけた。ウォーレス・セイビン、当時二十七歳。物理学科の助教授で、音響の専門家ではなかった。もっとも、部屋の響きを科学として扱った研究は、当時ほとんど存在しなかった。

セイビンのやり方は、きわめて単純だった。オルガンの音管を一本鳴らし、止める。音が聞こえなくなるまでの時間を、ストップウォッチと自分の耳で測る。次に、部屋に音を吸うものを持ち込み、また測る。持ち込んだのは、近くのサンダース劇場の座布団だった。座布団は昼間は劇場で使われるので、彼は夜中に助手と運び込み、測り終えると朝までに劇場へ戻した。昼間は街の物音がうるさくて、測ることができなかった。座布団の数を変えては測り、置く場所を変えては測る。助手や学生を座らせて、人間一人がどれだけ音を吸うかも測った。厚い服を着た女性のほうが、よく音を吸うことも分かった。測定は数千回に及び、三年ほど続いた。

やがて、関係が見えてきた。音が鳴り止んでから、その強さが百万分の一(60デシベル)に下がるまでの時間を、残響時間と呼ぶ。この残響時間は、部屋の容積に比例し、部屋の中にあるものが音を吸う量の合計に反比例する。容積を立方メートル、吸音の量を平方メートルで表せば、残響時間はおよそ容積の0.161倍を吸音の量で割った秒数になる。部屋が大きいほど長く響き、吸うものが多いほど短くなる。言ってしまえば当たり前のことだが、それを一本の式にしたことに意味があった。デシベルという単位がのちに定められるように(デシベル)、音は測れる量になりつつあった。

式があれば、建物を建てる前に響きを計算できる。この設計なら残響は何秒になるかを見積もり、目指す値に合わせて部屋の大きさや壁の材料を決めればよい。話を聞かせる講堂なら一秒前後の短い残響、オーケストラのホールならもう少し長い二秒前後、教会の音楽にはさらに長い残響が合う。目的ごとに響きを設計するという考え方、つまり建築音響学は、ここから始まった。フォッグ美術館の講堂は、壁に音を吸う材料を張ることでかなり改善された。

最初の大きな応用は、ボストンの新しい音楽ホールだった。ボストン交響楽団の本拠として計画されたシンフォニー・ホールである。設計は当時のアメリカを代表する建築事務所マッキム・ミード・アンド・ホワイトで、セイビンが音響を任された。彼はウィーンの楽友協会大ホールなど評判の良いホールを手本にしつつ、自分の式で計算を重ねた。細長い箱型の形を選び、当初の案より容積を抑え、満席のときの残響が二秒弱になるようにした。壁や天井には彫刻や格天井の凹凸をつけて音を散らし、舞台の両脇の壁を内側へ傾けて、音が客席へ向かうようにした。

1900年10月15日に開場したこのホールは、計算にもとづいて音響を設計した最初のコンサートホールとされる。響きは当初から高く評価され、いまもウィーン楽友協会やアムステルダムのコンセルトヘボウと並んで、世界で最も響きの良いホールの一つに数えられる。百年以上たったいまも、ボストン交響楽団はここで演奏している。音を吸う力の単位は、彼の名をとって「サビン」と呼ばれる。一平方メートルの、音を完全に吸い込む面、たとえば開け放った窓の吸音の量が、一メートル・サビンである。

セイビンはその後も多くの建物の音響に関わったが、第一次世界大戦が始まると、軍の技術の仕事に身を投じた。航空機の研究に加え、敵の大砲の位置を音で割り出す技術にも関わった。何か所かで砲声を記録し、音が届いた時間の差から砲の位置を計算する方法である。部屋の響きを測ってきた経験が、戦場で使われた。無理を重ねた彼は体を壊し、1919年1月、五十歳で亡くなった。

第一次世界大戦に関わる図版:Bataille de Verdun 1916
第一次世界大戦Wikimedia Commons Collection DocAnciens/docpix.fr · Public domain

セイビンの式には限界もある。音を吸う材料が部屋の中にまんべんなく分布し、音がどの方向にも均等に飛び交っていることを前提にしているのである。吸音材が一方の壁にだけ集まっている部屋や、ひどく音を吸う部屋では、計算が実際と合わなくなる。のちにアイリングらが修正した式を出し、いまでは計算機で音の波の伝わり方そのものを解く方法も使われている。それでも、セイビンの式は最初の見積もりとして、いまも建築音響の教科書の最初のページに載っている。

夜中に座布団を運び込んでは運び出した若い物理学者の地道な測定が、建てる前に響きを知るという、それまで誰もできなかったことを可能にした。いまのコンサートホールや講堂、録音スタジオ(磁気テープ録音が広まってから、響きの設計の重みはますます増した)から、教室や駅の構内放送の聞き取りやすさまで、私たちの耳に届く室内の音の多くは、その延長の上で設計されている。

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