できごと

冷蔵船

Refrigerated shipping
AD1882年
重要度 5
ロシア帝国大英帝国グリーンランドオスマン帝国アラビアポルトガル帝国エジプトスウェーデン=ノルウェースペイン帝国オーストリア=ハンガリー帝国ドイツ帝国フランススペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国Algeria (FR)モロッコイタリアルーマニアブルガリアアイスランドギリシャデンマークセルビアボスニア・ヘルツェゴビナAD1882年ロンドン
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概要

1882年、ニュージーランドのポート・チャーマーズを出た帆船ダニーデン号が、圧縮式の冷凍機を積み、羊5000頭分の枝肉を98日かけてロンドンへ運んだ。腐らずに着いた。以後、アルゼンチンの牛、オーストラリアとニュージーランドの羊、アメリカのバターが、ヨーロッパの食卓に流れ込んだ。イギリスの労働者が肉を食べられるようになり、ヨーロッパの農業は打撃を受けた。南半球の草原が、北半球の都市の胃袋に繋がった。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

本文

19世紀の後半、イギリスの人口は急速に増えていた。工場と炭鉱の町に人が集まり、都市の労働者の数がふくれ上がる。穀物法の廃止で外国の穀物が入るようになり、パンは安くなったが、肉は国内の牧場だけでは足りず、値段が上がり続けた。労働者の家の食卓に肉が上るのは、週に一度あるかないかだった。

一方、地球の反対側では肉が余っていた。アルゼンチンやウルグアイの大草原パンパには数百万頭の牛がいたが、売り物になるのは皮と脂、そして干して塩をした硬い肉くらいだった。オーストラリアとニュージーランドには何千万頭もの羊がいた。目当ては羊毛で、毛を刈ったあとの年老いた羊は、脂を取るために大釜で煮られ、肉の多くは捨てられた。生きた家畜を船で運ぶ試みもあったが、餌と水を積み、長い航海の間に世話をしても、多くが死んだ。

冷凍船"Salica Frigo"
冷凍船"Salica Frigo"Wikimedia Commons clipper · CC BY 2.5

冷やして運ぶという考えは、すでにあった。1806年から、アメリカのフレデリック・チューダーは、ニューイングランドの湖で冬に切り出した氷をおがくずで包んで船に積み、カリブの島々や、のちには遠くインドのカルカッタまで売っていた(天然氷の交易)。だが南半球からイギリスへの航海は、赤道を二度越えて3か月以上かかる。天然の氷では持たない。機械で冷やし続ける仕組みが要った。

その技術は、19世紀の半ばから少しずつ形になっていた。1834年、アメリカ生まれの技術者ジェイコブ・パーキンスが、液体を蒸発させて熱を奪う圧縮式の冷凍機の特許をロンドンで取った。1850年代には、オーストラリアのジェームズ・ハリソンがエーテルを使う製氷機を実用にし、1859年にはフランスのフェルディナン・カレがアンモニアを使う吸収式の機械を作った(製氷機)。ハリソンは1873年、冷凍した肉をイギリスへ送ろうと試みたが、航海の途中で冷却がうまくいかず、肉は腐り、彼は財産を失った。

パレット積みされた果物が冷凍船の船倉に収められている様子
パレット積みされた果物が冷凍船の船倉に収められている様子Wikimedia Commons No machine-readable author provided. Clipper assumed (based on copyright claims). · CC BY 2.5

最初に海を越えたのはフランスだった。1876年、技術者シャルル・テリエの冷却装置を積んだ船フリゴリフィック号が、フランスのルーアンからアルゼンチンへ渡り、肉を冷やしたまま運ぶことを試みた。1877年から翌年にかけては、カレ式の機械を積んだパラグアイ号が、アルゼンチンからフランスへ凍らせた肉を運び、よい状態で届けた。1880年には、圧縮した空気を膨らませて冷やすベル=コールマン式の冷凍機を積んだストラスレーヴン号が、オーストラリアから冷凍の牛肉と羊肉をロンドンへ運ぶことに成功している。

ニュージーランドの番は1882年に来た。南島のポート・チャーマーズで、1300トンほどの帆船ダニーデン号に、ベル=コールマン式の冷凍機が据え付けられた。空気を圧縮して冷やし、それを膨らませるとさらに温度が下がる。冷やす役を空気そのものが担うので、漏れても危険が無い。船倉は断熱され、石炭をたいて冷凍機を動かし続ける仕組みだった。積み込みの間には、冷凍室の中で作業していた船長が寒さで倒れかけたとも伝えられる。

20世紀半ば、クラン・ライン社の船「クラン・マクドゥーガル」から冷凍豚肉を降ろす作業
20世紀半ば、クラン・ライン社の船「クラン・マクドゥーガル」から冷凍豚肉を降ろす作業Wikimedia Commons National Maritime Museum from Greenwich, United Kingdom · Public domain

1882年2月15日、ダニーデン号は港を出た。積荷はおよそ4300頭分の羊の枝肉、600頭近い子羊、豚、そしてバターや鳥の肉などである。船は帆で走り、冷凍機は途中で何度か不調を起こしたが、船員たちが手当てを続けた。喜望峰を回って大西洋を北上し、赤道を越えて、98日後の5月24日、ロンドンに着いた。肉は凍ったまま、ほとんど傷まずに届いた。ロンドンの市場では、ニュージーランドで売るよりはるかに高い値がつき、新聞は南半球の肉がイギリスの食卓を変えるだろうと書いた。

これをきっかけに、南半球に新しい産業が生まれた。ニュージーランドは羊肉とバターの輸出国になり、いまも肉と乳製品は国を支える柱である。オーストラリアも続いた。アルゼンチンとウルグアイでは、港町に冷凍食肉工場が立ち並び、牛の品種も、干し肉用の在来の牛から、肉質のよいイギリスのショートホーンやアバディーン・アンガスへと入れ替えられていった。20世紀の初めには、アルゼンチンは世界有数の牛肉輸出国になる。

サンディエゴ港でバナナを降ろす冷蔵船「ドール・ホンジュラス」
サンディエゴ港でバナナを降ろす冷蔵船「ドール・ホンジュラス」Wikimedia Commons Port of San Diego from San Diego, CA · CC BY 2.0

イギリスの労働者は、安い輸入肉を食べられるようになった。冷凍の羊肉や牛肉が肉屋の店先に並び、都市の人々の栄養はしだいに良くなった。その一方で、ヨーロッパの農業は打撃を受けた。同じころ、アメリカの大平原やロシアの穀物も蒸気船と鉄道で安く流れ込み、1870年代から90年代にかけて、ヨーロッパの農産物の値段は下がり続けた。デンマークは穀物から酪農と養豚に切り替え、農民の協同組合を作ってベーコンとバターを輸出した。ドイツやフランスは関税を高くして国内の農家を守った。自由貿易を続けたイギリスでは農業が縮み、食料の多くを海の向こうに頼る形が固まった。二度の世界大戦で、ドイツの潜水艦がイギリスの輸送船を狙ったのは、この弱みを突くためだった。

冷やして運ぶ技術は、陸の上でも同じ変化を起こした。1870年代の終わり、シカゴの食肉業者グスタフス・スイフトは、氷で冷やした冷蔵貨車を実用にした。それまで牛は生きたまま東部の都市へ運ばれていたが、シカゴでさばいて肉だけを運べば、運ぶ重さは半分以下で済む。シカゴの食肉処理場は世界最大の規模になった。1906年、作家アプトン・シンクレアは小説『ジャングル』でその労働と不潔な現場を描いた。労働者の苦しみを訴えたつもりの彼は、読者が反応したのは食べ物の汚さのほうだったことに驚き、国民の心臓を狙って胃袋に当たってしまったと嘆いた。同じ年、純正食品薬事法と食肉検査法が成立した。

冷凍肉の輸送に初めて成功した冷蔵帆船「ダニーディン」
冷凍肉の輸送に初めて成功した冷蔵帆船「ダニーディン」Wikimedia Commons Frederick Tudgay · Public domain

20世紀に入ると、冷やす技術は家庭にも届いた。1910年代には家庭用の電気冷蔵庫が現れ、1930年にはクラレンス・バーズアイが考えた急速冷凍の食品が店で売られ始める(急速冷凍)。1930年代には、燃えにくく毒性の低いフロンが冷蔵庫の冷媒として広まったが、1970年代になって、それが空のオゾン層を壊すことが指摘され、1987年のモントリオール議定書で規制されることになる。

いま、世界の食べ物は、生産地から食卓まで低い温度を途切れさせずに運ぶ網の上を流れている。南半球の羊肉も、遠い海の魚も、季節外れの果物も、その網があって初めてスーパーの棚に並ぶ。1882年、帆船の船倉で石炭をたいて冷やし続けた98日の航海は、季節と距離を食べ物から取り除く時代の始まりだった。

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