概要
比叡山に本願寺を焼かれた蓮如が、越前と加賀の境の丘に坊を建てた。「御文」。平易な言葉の手紙で門徒を作った。「南無阿弥陀仏」の六字を自分で書いて配った。数年で北陸が門徒で埋まり、1488年、加賀の門徒が守護を殺して100年の「百姓の持ちたる国」。
場所
36.24°N 136.20°E · 福井県あわら市
関わった人(1)
蓮如AD1415年4月13日–AD1499年5月14日 · 建てた本文
1415年、大谷。本願寺。 父存如。母は下女。6歳で母が去った。「かへる」。 43歳まで、貧しい。 「本願寺は参詣する人がいなかった」。 1457年、8世。 「御文」。 1465年、比叡山。「無碍光宗」。「仏敵」。大谷を壊した。 近江。金森。堅田。 1468年、堅田大責。 1471年、越前吉崎。 7月。 北潟湖の丘。「吉崎御坊」。 「多屋」。門徒の宿。 「御文」。「白骨の御文」。「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」。 「南無阿弥陀仏」。六字名号。自分で書いて渡した。 「講」。「寄合」。 「一向宗」。 「門徒」。 加賀。富樫政親と幸千代。1474年、門徒が政親の側で幸千代を破った。 1475年、吉崎を出た。「門徒が政治に」。河内出口。 1478年、山科。 1488年、加賀。20万。富樫政親。高尾城。自害。 「百姓の持ちたる国」。実悟。 100年。1580年、織田。 1496年、石山。大坂。 1499年、山科。85歳。 5人の妻。13男14女。 「本願寺の8世」。「中興の祖」。 「御文」80通が「五帖御文」。真宗大谷派。「御文章」。本願寺派。いまも毎朝読む。 「信心」。「他力」。 「王法を本とし、仁義を先とし」。「世間の仁義を守れ」。 「一向一揆は、蓮如の意図ではなかった」。 「蓮如は、それを止めようとした」。 「止められなかった」。 「彼が作った組織が、彼を超えた」。 「日本で最も大きな宗教組織を、貧しい男が、手紙で」。 吉崎。 「吉崎御坊跡」。 東西本願寺がそれぞれ別院を。 「嫁威し肉附きの面」。伝説。 蓮如の像。北潟湖を見ている。