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Person / 人

蓮如

Rennyo
AD1415年4月13日 – AD1499年5月14日(享年84)
室町幕府重要度 4

概要

本願寺8世。母は下女で、6歳で去った。43歳まで貧しく、紙を漉いて暮らした。継いだ本願寺は参詣者がいなかった。比叡山に焼かれ、吉崎、山科、石山。「御文」。5人の妻に27人の子。本願寺を日本最大の教団にした。「中興の祖」。

関わったできごと(1)

蓮如の吉崎御坊AD1471年 · 建てた

本文

蓮如。兼寿。布袋丸。 1415年。大谷。 存如。 母。「西国の人」。名は分からない。6歳。 「蓮如の肖像を残して去った」。 1431年、青蓮院で得度。 1442年、如了尼。 「貧しかった。紙を漉いて」。 1457年、43歳。存如が死んだ。継母が弟を推した。叔父如乗が蓮如を。 8世。 「本願寺は人が来なかった」。 「延暦寺の末寺だった」。 「大谷に参詣者がなく、屋根が破れていた」。 近江。 「六字名号」。「名号本尊」。 「親鸞の絵伝」。 1461年、「御文」の最初。 1465年、山門。「無碍光宗」。 「大谷が壊された」。「親鸞の像を持って逃げた」。 金森。堅田。 1468年、堅田。 1471年、吉崎。 1473年、御文が増えた。 1474年、加賀。 1475年、吉崎を出た。 「門徒の争いを避けて」。 河内出口。 1478年、山科。 1480年、山科本願寺。「御影堂」。 1483年、「寺内町」。 1489年、隠居。実如。 1496年、大坂。「石山」。 「大坂」の地名の最初の記録は、蓮如の御文。 1499年3月25日。山科。85歳。 「五帖御文」。 「白骨」。「聖人一流」。「信心獲得」。 「一向宗と呼ぶな。浄土真宗と」。 「王法為本」。 「門徒もの知らず」。 「一向一揆」。 「彼は、100年後の石山合戦を、知らない」。 「彼が作った本願寺を、信長が」。 「東西」。 「彼の血が、本願寺の血」。 「大谷家」。 「5人の妻」。 「85歳で13男14女」。 「最後の子は、84歳のとき」。 「実悟」。『拾塵記』。「百姓の持ちたる国」。息子が書いた。