鉄筋コンクリート
概要
コンクリートは押されるのに強く、引かれると割れる。鉄は逆である。両者を組み合わせれば、どちらの弱点も消える。しかも熱膨張率がほぼ同じで、アルカリ性のコンクリートが鉄を錆から守る。パリの造園業者ジョゼフ・モニエは、割れない植木鉢を作ろうとして、金網を入れたモルタルを試し、1867年に特許を得た。原理は後にドイツとフランスの技師が構造力学として整理する。二十世紀の建物のほとんどが、この組み合わせで建っている。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(1)
ジョゼフ・モニエAD1823年11月8日–AD1906年3月13日 · 特許を得た本文
コンクリートは押されるのにはとても強いが、引っ張られるとすぐ割れる。引っ張りへの強さは、押す力への強さの10分の1ほどしかない。だからコンクリートの梁を水平に架けて上から重さをかけると、下側が引き伸ばされて割れてしまう。鉄はその逆で、引っ張りに強いが、細い棒は押されると曲がって折れる。
それなら、二つを組み合わせればよい。梁のうち引っ張られる側に鉄の棒を入れ、押される側はコンクリートに任せる。互いの弱いところを、互いが補う。これが鉄筋コンクリートの考え方である。

この組み合わせがうまくいくのは、三つの性質がたまたまそろっているからでもある。一つ目は、温度による伸び縮みの割合がほぼ同じことだ。もし大きく違えば、暑さ寒さのたびに中で鉄とコンクリートがずれ、内側から壊れてしまう。二つ目は、固まったセメントが鉄の表面にしっかり食いつくことである。のちには表面に節を付けた鉄筋が使われ、さらに抜けにくくなった。三つ目は、コンクリートが鉄を錆から守ることだ。固まったコンクリートの中は強いアルカリ性で、その中では鉄の表面にごく薄い緻密な膜ができ、それ以上錆びにくくなる。どれか一つでも欠けていれば、この材料は成り立たなかった。
コンクリートそのものは古い。ローマ人は火山灰を使ったコンクリートで巨大な建物を建てた(ローマのコンクリート)。19世紀の前半には、イギリスで石灰石と粘土を焼いて作るポルトランドセメントが生まれ、強いコンクリートが安く作れるようになっていた。そこに鉄を入れる試みは、何人もが別々に始めていた。1848年ごろ、フランスのジョゼフ=ルイ・ランボーは金網にモルタルを塗った小舟を作り、1855年のパリ万国博覧会に出した。イギリスのウィリアム・ウィルキンソンは、1854年に鉄を入れたコンクリートの床で特許を取っている。

中でも名を残したのが、パリの造園業者ジョゼフ・モニエ(1823〜1906年)である。彼は技師ではなく、理論も持っていなかった。困っていたのは、オレンジの木などを植える大きな鉢だった。当時の鉢は木の桶か素焼きで、木は腐り、素焼きは根の張る力や冬の凍結で割れた。モニエはモルタルで鉢を作ってみたが、やはり割れた。そこで中に鉄の網を入れてみると、割れなくなった。なぜそうなるのかは、よく分かっていなかったらしい。網が押さえているのだろう、という程度の理解だったとされる。
1867年7月16日、モニエは鉄とセメントを組み合わせた園芸用の桶で特許を得た。その後も特許の範囲を次々に広げていく。1868年には管と貯水槽、1869年には板、1873年には橋、1878年には梁。1875年にはシャズレの城の庭に、鉄筋コンクリートの歩道橋を架けた。長さは十数メートルほどで、鉄筋コンクリートの橋としては最も古いものの一つとされ、いまも残っている。

モニエの方法を理屈の上で確かなものにしたのは、ドイツの技師たちだった。1879年以降、建設業者グスタフ・アドルフ・ヴァイスがモニエの特許の権利を買い、実験を重ねた。そこで分かったのは、モニエが鉄の網を部材の真ん中に入れていたことの問題である。真ん中では引っ張りにほとんど効かない。鉄は、引っ張られる側の縁の近くに置かなければならない。1886年には技師マティアス・ケーネンが鉄筋コンクリートの強さを計算する方法を発表し、「モニエ式」の名でドイツ語圏に広まった。
フランスでは、フランソワ・エンヌビックが1892年に特許を取った。柱と梁と床を一体に打ち固める方式で、梁の中の鉄筋を途中で斜めに折り曲げ、梁を断ち切ろうとする力にも耐えられるようにした。エンヌビックは商売にも長け、ヨーロッパ中に代理の業者の網を張って、20世紀の初めまでに数千件の建物を手がけた。
20世紀に入ると、鉄筋コンクリートは建築の標準になった。材料の砂利と砂とセメントはどこでも手に入り、安い。火にも強い。鉄骨は火事の熱で軟らかくなるが、コンクリートで覆えば守れる。そして型枠さえ作れば、どんな形でも作れる。1903年、オーギュスト・ペレはパリのフランクリン街に鉄筋コンクリートの骨組みのアパートを建てた。1914年、ル・コルビュジエは柱と床の板と階段だけで建物を支える「ドミノ」の構想を示し、壁を構造の役目から解き放った。のちに彼は集合住宅(ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオン)でその考えを形にする。アメリカのフランク・ロイド・ライトは、滝の上に床を張り出した落水荘を1930年代に建てた。日本でも、関東大震災の後、燃えず崩れにくい建物として鉄筋コンクリートが広がり(同潤会アパート)、戦後には団地(公団住宅と2DK)や高速道路、ダムが次々に造られた。
だが、鉄筋コンクリートには寿命がある。鉄を守っているアルカリ性は、時とともに失われていく。空気中の二酸化炭素がコンクリートに染み込み、中のアルカリと反応して、表面から少しずつ中性に変わっていくのである。数十年で数センチ進み、鉄筋の深さに届くと鉄が錆び始める。海の近くや、冬に凍結を防ぐ塩を撒く道路では、塩分が鉄を守る膜を破る。そして鉄は錆びると体積が何倍にも膨れ上がり、まわりのコンクリートを内側から押し割る。割れ目からはさらに水と塩が入り込み、傷みは加速する。
鉄筋コンクリートの建物や橋は、設計の上では50年から100年ほど持つとされる。20世紀の後半に世界中で大量に造られたものが、いまその時期を迎えている。アメリカの古い橋、日本の高度経済成長期に造られた高速道路や上下水道の老朽化は、どれもこの問題とつながっている。
ローマのパンテオンのコンクリートの円屋根は、1900年近く立ち続けている。その中には鉄が入っていない。鉄筋は、コンクリートに引っ張りへの強さを与え、自由な形と高さを可能にした。それと引き換えに、建物の中に、いつか錆びる時計を持ち込んだのである。割れない植木鉢を作ろうとした庭師の工夫は、20世紀の都市の姿を決め、21世紀にその手入れという宿題を残した。