概要
南フランスの生まれ。パリの公園で庭師として働き、後に造園業を営んだ。橙の木を植える鉢が、温度差と根の力で割れることに悩み、金網を入れたモルタルで作ることを思いつく。1867年、鉢と桶で特許を取り、その後、管、貯水槽、床板、橋へと特許を広げた。彼は構造の理論を持っていない。なぜ鉄が引張を受け持つのかを説明したのは、後のドイツの技師たちである。特許を安く売り渡し、豊かにはならなかった。
関わったできごと(1)
鉄筋コンクリートAD1867年 · 特許を得た本文
**ジョゼフ・モニエ**(1823〜1906年)。
**南フランス、ガール県、サン=カンタン=ラ=ポトリ**。
(**——**貧しい家**である**。
**そして、彼は、**庭師**になった**。
〈**——**パリへ出て、**チュイルリー宮の庭**で、働いた**、とされる**。
**そして、**独立して、**造園と、園芸の道具の製造**を、営んだ**。〉)
**鉢**。
(——**問題**。
〈**——**橙の木**を、**大きな鉢に植えて、**冬は、温室へ運ぶ**。
**〈——「オランジュリー」。**
**——貴族の庭の、定番である。〉**
**——**そして、**その鉢が、**割れる**。
**理由**。
**〈(a)**根が、**内側から、押す**。**
**(b)**そして、**冬の凍結と、夏の乾燥**。**
**(c)さらに、**運ぶときに、割る**。〉**
**——**木の桶は、**腐る**。
**——**素焼きは、**割れる**。〉
**——**彼は、**セメントのモルタルで、作ってみた**。
**——**割れた**。
**そして、**鉄の網を、中に入れた**。
**——**割れなくなった**。〉)
**特許**。
(**1867年7月16日**。
〈**——**「園芸に用いる、鉄とセメントを組み合わせた、移動可能な桶」**。
**——**そして、**その年のパリ万博に、出品した**。〉
**そして、彼は、**次々に、応用した**。
〈**1868年——**管と、貯水槽**。
**1869年——**板**。
**1873年——**橋**、そして**歩道橋**。
**1878年——**梁と、桁**。
**——**そして、**約十五の特許**を、取った**。〉
**1875年、**シャズレ城**(ロワール)の庭に、**鉄筋コンクリートの歩道橋**を、架けた**。
〈**——**長さ、約16メートル**。**幅、約4メートル**。
**——**世界初の、鉄筋コンクリートの橋**とされる**。
**そして、**いまも、**残っている**。
**〈——1988年、**歴史建造物**に、指定された。〉**〉)
**理論が、無い**。
(——**そして、これが、**この話の、核心である**。
〈**——**彼は、**なぜ、鉄が効くのか**を、**理解していなかった**。
**——**そして、**鉄網を、**部材の中央**に、入れていた**。
**〈——「補強するなら、真ん中だろう」。〉**
**——**しかし、**引張は、**引かれる側の、縁**に、集中する**。
**——**中央に入れても、**ほとんど、効かない**。〉
**——**それを、**正したのは、ドイツ人である**。
〈**1879年、**グスタフ・アドルフ・ヴァイス**(ベルリンの建設業者)が、**モニエの特許を、買った**。
**——**そして、**試験をして、**配置が、間違っている**ことに、気づいた**。
**そして、**マティアス・ケーネン**(プロイセンの建設監督官)が、**1886年、**計算の理論を、発表した**。
**——**「モニエ=ヴァイス方式」**。
**〈——ドイツで、**急速に、普及した**。〉**〉)
**そして、儲からなかった**。
(——**彼は、**特許を、安く、売り渡した**。
〈**——**ヴァイスへの売却額は、**わずかである**、とされる**。
**——**そして、**彼自身の事業は、**大きくならなかった**。〉
**1906年3月13日、**パリで、死去**。**八十二歳**。
〈**——**極めて、貧しかった**、と伝えられる**。
**——**そして、**葬儀は、**質素だった**。〉)
**評価**。
(——**「鉄筋コンクリートの発明者」**と、しばしば、呼ばれる**。
**——**そして、**それは、正確ではない**。
〈**——**先行する例が、いくつもある**。
**〈(1)**ジョゼフ=ルイ・ランボー**(1848年)——**
**——鉄網とモルタルで、**船**を作った。**
**——1855年のパリ万博に、出品されている。**
**——そして、**その船は、いまも、ブリニョールの博物館にある**。**
**(2)**ウィリアム・ウィルキンソン**(イギリス、1854年の特許)。**
**(3)**フランソワ・コワニェ**(フランス、1850年代)。**
**——彼は、**構造としての理解**を、モニエより、深く持っていた。〉**
**——**それでも、**モニエの名が、残った**。
**理由**。
〈**——**彼が、**多数の特許を、体系的に取った**こと**。
**——**そして、**ドイツで、**「モニエ方式」**として、**理論化され、普及した**こと**。
**〈——名前が、方式の名として、定着した。〉**〉
**——**そして、**彼は、**植木鉢を、作ろうとしただけである**。
〈**——**二十世紀の建物の、**ほとんどすべて**が、**その原理で、立っている**。〉)