← 地図で見る
Person / 人

レグルス

Marcus Atilius Regulus
? – BC250年頃
ローマ重要度 2

概要

執政官としてアフリカに上陸し、勝って、傲慢な講和を求めて、負けて捕虜になった。講和の使者としてローマに帰り、元老院に講和を拒めと言い、誓い通りカルタゴへ戻って拷問で死んだ、とローマは伝えた。史実かは怪しいが、ローマ人はこれを信じて育った。

所属

ローマ

関わったできごと(1)

レグルスのアフリカ遠征BC256年 · 執政官

本文

マルクス・アティリウス・レグルス。 BC267年、 執政官。 サレンティニ人を降した。 BC256年、 補充執政官。 エクノモス。 アフリカ。 BC255年、 バグラダス。 捕虜。 それから先は、 分からない。 BC250年、 ローマへ、 戻って、 また、 カルタゴへ、 帰った。 ホラティウス『歌章』3-5。 「彼は、 妻と子の口づけを、 避けた。 市民権を失った者として。 使者が、 出発を、 急かすまで、 目を、 地に、 向けていた。 まるで、 依頼人の、 長い、 争いを、 片づけて、 ウェナフルムの、 畑か、 スパルタ人の、 タレントゥムへ、 行くように」。 拷問。 瞼を、 切られて、 太陽を、 見させられた。 釘を打った、 樽。 眠れないように。 「アッティリウスの、 拷問」。 キケロ『義務について』3。 「彼は、 誓いを、 守った。 敵への、 誓いも」。 「有用と、 名誉が、 対立するとき」。 名誉。 ローマの、 子供は、 これで、 育った。

ポリュビオスは、 彼の捕虜と、 講和の拒否の、 ことを、 書いていない。 ポリュビオスは、 アフリカ遠征を、 「傲慢な講和条件を、 出したから、 負けた」と、 書く。 「運命は、 人を、 戒めるために」。 ディオドロス。 「レグルスは、 捕虜のまま、 病死した。 ローマにいた、 カルタゴの捕虜、 ボスタルとハミルカルは、 レグルスの、 妻マルキアが、 息子たちと、 拷問した。 ボスタルは、 死んだ。 ハミルカルは、 5日、 死体と、 同じ部屋に。 護民官が、 知って、 止めた」。 「レグルスの妻の、 復讐が、 先で、 レグルスの、 拷問の話は、 それを、 正当化するために」。 そう、 考える人が、 いる。 BC2世紀に、 「レグルスの拷問」は、 すでに、 ローマの、 常識だった。 「レグルスの、 ような、 人」。 誠実。 ローマ人は、 自分たちが、 そういう人だと、 思いたかった。