サミュエル・プリムソル
概要
ブリストル生まれ。石炭商として失敗し、一時、宿無しになった。その経験から貧しい人々の側に立った。1868年、下院議員。船員の遺族の話を聞き、老朽船への過積みを追及した。1873年『我らの船員たち』を自費で出版。議場で船主の議員を「人殺し」と呼び、議長の制止を無視して退場になった。世論が沸き、1876年の商船法が通った。「船乗りの友」と呼ばれた。
関わったできごと(1)
満載喫水線AD1876年 · たたかった本文
サミュエル・プリムソルは1824年2月10日、イングランド西部の港町ブリストルに生まれ、北部の工業都市シェフィールドで育った。一家は信仰のあつい非国教徒だった。学校を早く終えて醸造所の書記として働き、やがて支配人にまで取り立てられた。1853年、独立してロンドンで石炭の商売を始めた。鉄道で北の炭田から運んだ石炭を売る仕事である。

商売はうまくいかなかった。取引がつまずいて財産を失い、プリムソルは一時、ロンドンの貧しい人々が泊まる安宿で暮らした。わずかな金で一週間をしのぐ人々の中で過ごしたこの時期のことを、彼は後年繰り返し語った。貧しい人々の我慢強さと、互いへの親切に心を打たれ、その人々への共感は一生消えなかった、と。やがて商売を立て直したプリムソルは、1860年代には成功した石炭商になっていた。
1868年、プリムソルは中部の町ダービーから自由党の下院議員に選ばれた。彼が心を寄せたのは、海で命を落とす船乗りたちだった。当時のイギリスは世界一の海運国で、無数の商船が石炭や穀物を積んで海を行き来していたが、毎年多くの船が沈み、イギリスの沿岸だけでも数百人の船員が死んでいた。夫や息子を海で失った女性たちが、プリムソルのもとを訪ねてきた。

調べていくうちに、プリムソルは恐ろしい事実に突き当たった。古くて傷んだ船を安く買い、修理もせずに荷を目いっぱい積んで送り出す船主がいる。船と積荷には実際の値打ちを超える保険が掛けられ、船が沈めばかえって船主が儲かる仕組みになっていた。こうした船は「棺桶船」と呼ばれた。そして船員は、いったん乗船の契約を結ぶと、船が危ないと分かっても乗るのを拒めば、法律によって牢に入れられた。危険を知りながら海へ出るか、監獄へ行くかを選ばされていたのである。海上の保険は、もともと危険を分かち合うためにロイズと海上保険などで育った仕組みだったが、それが逆に船員の命を賭けの対象にしていた。
1873年、プリムソルは『我らの船員たち』という本を自費で出版した。沈んだ船の名前、船主の名前、死んだ船員の数を実名で並べ、荷を積みすぎて海面すれすれまで沈んだ船の様子を伝えた。安い値段で売られたこの本は大きな反響を呼び、名指しされた船主たちからは名誉毀損で訴えられた。政府は調査のための王立委員会を設けたが、海運業界の力は強く、議会には船主の議員も多かった。
1875年7月22日、ディズレーリの保守党政府は、船の安全を定める法案を、ほかの議事が詰まっているという理由でその会期は見送ると発表した。プリムソルは席を立ち、議場の中央に進み出て、船員を死に追いやる悪党どもの名を暴いてやる、と叫んで拳を振り上げた。議長が着席を命じても従わず、議員たちを悪党と呼んだ発言を取り消すことも拒んだため、議場から退くよう命じられた。彼は後日、議会の作法に背いたことを謝罪した。
しかしこの騒ぎは、新聞に大きく報じられた。各地で労働者の集会が開かれ、世論は圧倒的にプリムソルの側についた。政府は方針を変え、その会期のうちに危険な船を取り締まる暫定の法を通し、翌1876年、新しい商船法を成立させた。この法によって、船の側面に、どこまで沈めてよいかを示す線、満載喫水線を描くことが義務づけられた。円の中に横線を引いたその印は、のちに「プリムソル・マーク」と呼ばれるようになる。
ただし1876年の法には大きな抜け穴があった。線をどこに引くかを、船主が自分で決めてよいとしていたのである。船の一番上の縁に線を描いて、事実上何の制限にもならなかった船もあったと報告されている。線の位置を国の役所が決めるようになったのは、1890年の改正からである。
1880年、プリムソルは議席を手放した。選挙で落選した自由党の有力者に、自分の選挙区を譲ったのである。その後も彼は議会の外で船乗りのために働き続けた。北大西洋を渡って牛を運ぶ家畜運搬船に自ら乗り込み、甲板に詰め込まれた牛が嵐の中で傷つき、船そのものも危険にさらされている実態を調べて世に訴えた。船員の労働組合の会長も務めた。1898年6月3日、イングランド南東部の港町フォークストンで、74歳で亡くなった。
ロンドンのテムズ川沿いの堤防には、船員の組合が建てたプリムソルの記念碑があり、「船乗りの友」と刻まれている。満載喫水線は、1930年に国際的な条約で定められ、いまでは世界中のあらゆる商船の舷側にこの印がある。1912年のタイタニックの沈没の後に海上の人命の安全を守る国際条約が生まれたのと並び、船乗りの命を守る仕組みの一つとなった。ゴム底の運動靴を英語で「プリムソル」と呼ぶことがあるのは、靴の側面の帯が満載喫水線に似ていたからだと言われる。労働者の命を守るための法が、1833年工場法のような工場の中だけでなく、海の上にも及んだのである。