概要
黒体放射のスペクトルを説明する式を作るために、プランクは「エネルギーはとびとびの値しか取れない」と仮定した。E=hν。h=6.626×10⁻³⁴。「絶望的な行為」と自分で言った。信じていなかった。5年後、アインシュタインが光そのものが粒だと言い、13年後、ボーアが原子に使い、25年後、量子力学になった。物理学会での発表の日が、量子論の誕生日。
場所
52.52°N 13.40°E · ドイツ
関わった人(1)
マックス・プランクAD1858年4月23日–AD1947年10月4日 · 発表した本文
熱い物は光る。鉄は赤く、もっと熱いと白く。温度だけで色が決まる「黒体放射」のスペクトルを、19世紀の物理は説明できなかった。ヴィーンの式は短い波長で合い、レイリーの式は長い波長で合って、短い波長で無限大になった(「紫外破綻」)。
プランクはベルリン大学の教授で、42歳、熱力学の専門家、保守的で、慎重だった。1900年10月、二つの式をつなぐ式を「当てずっぽう」で作った。合った。それから2か月、なぜ合うのかを考えた。ボルツマンの統計力学(嫌いだった)を使って、放射のエネルギーが「エネルギー要素」ε=hν の整数倍しか取れない、と仮定すると、式が出た。h は新しい定数。6.55×10⁻²⁷ エルグ秒(いまの値は6.626×10⁻³⁴ ジュール秒)。
1900年12月14日、ドイツ物理学会。「正常スペクトルにおけるエネルギー分布の法則の理論」。
プランクは、これを数学の便法だと思った。「絶望的な行為だった。どんな犠牲を払っても理論的な説明を見つけなければならなかった」と後で書いた。エネルギーが本当にとびとびだとは信じなかった。10年以上、古典物理に戻す道を探した。
1905年、アインシュタインが「光量子」。光そのものが粒だ。光電効果。プランクはアインシュタインをベルリンに呼ぶ推薦状に「光量子のような行き過ぎはあるが、大目に見るべきだ」と書いた。1913年、ボーアの原子。1924年、ド・ブロイの物質波。1925年、ハイゼンベルクの行列力学。1926年、シュレーディンガーの波動方程式。1927年、不確定性原理。量子力学。
1918年、ノーベル賞。プランク定数 h は、2019年からキログラムの定義に使われている。
12月14日が「量子論の誕生日」。プランク自身は、その日に何かが生まれたとは思っていなかった。