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Person / 人

マックス・プランク

Max Planck
AD1858年4月23日 – AD1947年10月4日(享年89)
ドイツ帝国重要度 5

概要

キール。法学者の家。物理の教授に「もう発見することは残っていない」と言われて、物理を選んだ。熱力学。1900年、量子。自分の仮説を20年疑った。ベルリン大学、カイザー・ヴィルヘルム協会の会長。アインシュタインをベルリンに呼んだ。長男は第一次大戦で死に、次男はヒトラー暗殺計画で1945年に処刑された。ナチスを嫌い、ドイツを離れなかった。「新しい真理は、反対者を説得して勝つのではない。反対者が死に絶えて勝つ」。

所属

ドイツ帝国

関わったできごと(2)

プランクの量子仮説AD1900年12月14日 · 発表したアインシュタインの奇跡の年AD1905年 · 認めた

本文

1858年、キール。父は法学の教授、祖父と曾祖父は神学の教授。ミュンヘン大学で、物理学教授ヨリーが「この分野はほとんど完成していて、細部を埋めるだけだ」と言った。プランクは「新しいことを発見したいのではなく、基礎を理解したい」と答えた。ピアノが上手く、音楽と迷った。

熱力学第二法則。エントロピー。ベルリン大学(1889年、キルヒホッフの後任)。1894年から黒体放射。1900年12月14日、量子。1918年、ノーベル賞。

ベルリンの物理学の中心。1913年、アインシュタインをベルリンに呼んだ(ネルンストと二人でチューリヒへ行って口説いた)。プロイセン科学アカデミーの書記、カイザー・ヴィルヘルム協会の会長(1930〜37年)。ドイツ物理学会の会長。「物理学界のゲーテ」。義務、節度、規律。

家族。妻マリーが1909年に死んだ。長男カールは1916年、ヴェルダンで死んだ。双子の娘グレーテとエンマは、それぞれ出産で死んだ(1917年、1919年)。次男エルヴィンは外交官で、1944年7月20日のヒトラー暗殺計画に関わって、1945年1月23日、プレッツェンゼーで絞首刑。プランクはヒトラーに助命を書いた。無視された。86歳だった。

1933年5月、ヒトラーに会って、ユダヤ人の科学者(ハーバー)を残すよう頼んだ。ヒトラーは怒って、話にならなかった。プランクは「私はドイツを離れない。ここで、できることをする」。ナチス党員にならず、アインシュタインを公然と擁護せず(1933年、アカデミーからのアインシュタインの除名を止められなかった)、ハーバーの追悼式を1935年に開いた(禁じられていた)。「ドイツ物理学」(レーナルト、シュタルク)は彼を「白いユダヤ人」と呼んだ。

1944年、ベルリンの家が空襲で焼けて、日記と手紙が全部消えた。1945年、ロゲッツ(マクデブルクの近く)で、アメリカ軍に保護された。ゲッティンゲン。1946年、カイザー・ヴィルヘルム協会がマックス・プランク協会に。1947年10月4日、ゲッティンゲンで死んだ。89歳。

「新しい科学的真理は、反対者を説得して光を見せることで勝つのではない。反対者がやがて死に、新しい真理に慣れた世代が育つことで勝つ」(『科学的自伝』)。プランクの原理。