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Person / 人

アレクサンダー・フレミング

Alexander Fleming
AD1881年8月6日 – AD1955年3月11日(享年73)
イギリス重要度 5

概要

スコットランドの農家の子。船会社の事務員から、遺産で医学校へ。射撃部に入るためにセント・メアリー病院を選んだ。第一次大戦で、消毒薬が傷を悪くするのを見た。1922年、リゾチーム(自分の鼻水から)。1928年、ペニシリン。だらしなくて、シャーレを洗わなかった。精製はフローリーとチェインで、名声はフレミングに来た。1945年、3人でノーベル賞。「私は自然の作ったものを見つけただけだ」。

関わったできごと(1)

ペニシリンの発見AD1928年9月28日 · 見つけた

本文

1881年、スコットランドのエアシャー、ロッホフィールドの農場。8人兄弟の7番目。父は彼が7歳のとき死んだ。13歳でロンドンへ、兄の所へ。船会社の事務員を4年。1901年、叔父の遺産250ポンドで、医学校へ。セント・メアリー病院を選んだのは、水球で対戦したことがあったから。射撃部に入るために、卒業後も病院に残った。射撃部の部長が予防接種部のアルムロス・ライトの弟子で、ライトの下に置いた。

ライト。「予防接種」で病気を治す(当時は抗菌薬がない)。サルバルサン(1910年、エールリヒの梅毒の薬)をロンドンで最初に使った医者の一人。「二等兵606」と呼ばれた。

第一次大戦、フランスのブローニュの野戦病院。傷の消毒に石炭酸を使って、傷が悪くなるのを見た。消毒薬は菌より白血球を殺す、と実験で示した(試験管に傷の形の突起を作って)。外科医は聞かなかった。

1921年、リゾチーム。風邪を引いて、鼻水を培地に落として、菌が溶けた。涙、唾液、卵白。体の中の抗菌物質。細菌を殺すが、病原菌には効かなかった。しかし、それで「菌を溶かす物」を見る目ができていた。

1928年9月、ペニシリン。1929年、論文。1930年代、ワクチンとサルファ剤の仕事。1940年、フローリーとチェインの論文(『ランセット』)を読んで、オックスフォードへ行った。「フレミングが来た。死んだと思っていた」(チェイン)。1942年、友人(脳膜炎)にペニシリンを注射して治し、『タイムズ』がフレミングを英雄にした(ライトが投書して)。フローリーは宣伝を嫌い、フレミングは受けた。

1944年、ナイト。1945年、ノーベル賞。25の名誉博士号。世界を回った。「ペニシリンを見つけたのは、私でなく、自然だ。私はそれを見つけただけだ」。1949年、妻サラが死んだ。1953年、ギリシア人の細菌学者アマリア・ヴレカ(同僚)と再婚。1955年3月11日、心臓発作。73歳。セント・ポール大聖堂。

「人生で、少なくとも一つは、放置したシャーレの価値を知っている」。