← 地図で見る
Person / 人

パーニニ

Pāṇini
BC520年頃 – BC460年頃(享年60・推定)
ガンダーラ重要度 5

概要

シャラートゥラ(ペシャワールの近く)の人、と伝える。生涯は何も分からない。生きた年も、BC6世紀からBC4世紀まで説がある。『アシュターディヤーイー』3959の規則(スートラ)。音声学、形態論、統語論、方言、ヴェーダ語と日常語の違い。記述の方法自体が、2000年後の言語学の方法。ブルームフィールド「人間の知性の最も偉大な記念碑の一つ」。パタンジャリ(BC2世紀)の注釈『マハーバーシュヤ』で伝わった。

関わったできごと(1)

パーニニの文法BC400年頃 · 記述した

本文

生涯は、ほとんど何も分からない。

名前。「パーニナ(Pāṇina)の子孫」。地名か氏族名。伝承では、母の名がダークシー(ダークシー・プトラ、「ダークシーの子」と後の文法家が呼ぶ)。

場所。シャラートゥラ(Śalātura)。玄奘が『大唐西域記』(AD646年)で書いた。「烏鐸迦漢荼城の西北20余里に娑羅覩邏(サラートゥラ)邑がある。波你尼(パーニニ)仙が『声明論』を作った所である」。ガンダーラ、いまのパキスタンのペシャワールの北、アトック(インダス河畔)の近くのラホール村。当時、この地はアケメネス朝ペルシアの東の境で、タクシラの学問の街に近かった。

時代。BC6世紀からBC4世紀まで説がある。手がかり。(1)パーニニはヤヴァナーニー(ギリシア文字、と解される語)を規則に挙げている。ギリシアとの接触。アケメネス朝の支配(BC518年頃〜)でギリシア人がインダス地方にいたので、アレクサンドロス(BC326年)を待つ必要はない。(2)ナンダ朝やマウリヤ朝を知らない。(3)カーティヤーヤナ(BC3世紀頃)とパタンジャリ(BC2世紀)が注釈している。多くの学者はBC5〜4世紀に置く(BC350年頃、という説が広い)。

書かれたか、暗誦されたか。インドの学問は口誦で伝えられた(ヴェーダは「聞かれたもの(シュルティ)」で、書くのは劣るとされた)。『アシュターディヤーイー』も、暗誦のために極端に短く作られている。「文法家は、半音節を節約できたら、息子が生まれたときのように喜ぶ」(後の格言)。

作品。『アシュターディヤーイー』(八章)。3959または3983のスートラ。付属の『ダートゥパータ』(動詞語根表、約2000)、『ガナパータ』(語群表)、『シヴァ・スートラ』(14の音の列。伝説では、シヴァ神が踊りの終わりに太鼓(ダマル)を14回鳴らして、パーニニに授けた)、『ウナーディ・スートラ』『リンガーヌシャーサナ』(性の規則。作者は別かもしれない)。

方法。(1)メタ言語(規則を書くための人工言語。術語、標識の文字(イト)、格の使い方の約束——第6格は「〜の代わりに」、第7格は「〜の前で」、第5格は「〜のあとで」)。(2)アヌヴリッティ(前の規則の要素を、次の規則が引き継ぐ。省略)。(3)規則の競合の解決(後の規則が優先、特殊が一般に優先、内側の適用が先)。(4)ゼロ(ルプ、「消える接辞」)。(5)再帰と、規則が規則を修正する層。20世紀の言語学者と論理学者が、この構造を「生成文法」「形式体系」として読み直した。

後の伝承。パタンジャリ『マハーバーシュヤ』(大注解、BC150年頃)が、パーニニとカーティヤーヤナを議論しながら、サンスクリット文法学(ヴィヤーカラナ)を確立した。「三聖(ムニ・トラヤ)」=パーニニ、カーティヤーヤナ、パタンジャリ。バルトリハリ『ヴァーキヤパディーヤ』(AD5世紀。言語哲学。「スポータ」)。『カーシカー・ヴリッティ』(7世紀)。バットージ・ディークシタ『シッダーンタ・カウムディー』(17世紀。規則を主題別に並べ替えた。いまインドの伝統的な学校で学ぶ形)。

伝説。『パンチャタントラ』に「文法の作者パーニニは獅子に殺された」。他に、同門のヴャーディやピンガラとの話、シヴァ神から文法を授かった話。

西洋。1786年、ウィリアム・ジョーンズ。1810年代からドイツの東洋学。1839〜40年、オットー・ベートリンクが『アシュターディヤーイー』をボンで校訂・独訳。ソシュールはパリとジュネーヴでサンスクリットを教えた。ブルームフィールド(1933年)「人間の知性の最も偉大な記念碑の一つ」。1960年代以後、チョムスキーの生成文法と、規則の順序、変形、そして「パーニニの原理」(特殊が一般に優先する。言語学の術語になった)。バッカス・ナウア記法との類似(「パーニニ・バッカス記法」と呼ぶ人がいる)。

2500年前、一人の人が、一つの言語を、3959の規則で、余さず書いた。それより短く、それより正確なものを、まだ誰も書いていない。