概要
ペストで大学が閉鎖され、故郷に戻っていた年。窓の鎧戸に穴を開け、差し込む光を三角のガラスに通すと、壁に虹の帯が伸びた。当時の説では、色はガラスが白い光を「汚す」ことで生じるとされていた。彼は帯の一色だけを二枚目のプリズムに通し、それ以上分かれないことを示した。白色光は色の混合であり、プリズムはそれを分けているだけである。1704年『光学』。ゲーテは半世紀後、これに真っ向から反論する色彩論を書いた。
場所
52.21°N 0.12°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
アイザック・ニュートンAD1643年–AD1727年 · 示した本文
**当時の説**。
17世紀まで、色の説明は、アリストテレス以来の「**修正説**」だった。
光は、それ自体では白い(あるいは無色である)。それが、媒質を通るときに**弱められ、汚され**て、色が生じる。
より多く弱められれば暗い色(青)、少なければ明るい色(赤)。
プリズムが虹を作るのは、ガラスが光に何かを**加える**からである。
(デカルトも、光の粒子の回転の速さで色を説明していた。)
**1665〜66年**。
ロンドンでペストが流行し、ケンブリッジ大学が閉鎖された。
23歳の**アイザック・ニュートン**は、故郷リンカンシャーのウールスソープの農場に戻った。
この18か月で、彼は——微積分の基礎、万有引力の着想、そして光と色の理論に到達した。後に「**驚異の年(annus mirabilis)**」と呼ばれる。
(本人が晩年に回想した話で、細部は整理されすぎている疑いがある。)
**実験**。
部屋を暗くし、**窓の鎧戸に小さな穴**を開ける。
差し込む一条の光を、三角のガラスのプリズムに通す。
対面の壁に、色の帯が現れる。**赤・橙・黄・緑・青・藍・紫**。
(彼が七色に分けたのは、音階が7音であることとの対応を意識したからだ、と考えられている。実際のスペクトルは連続で、境目はない。)
ここまでは、誰でも知っていた。
**彼が見たこと**。
穴が円いのに、**帯が細長い**。
修正説が正しいなら、光がガラスを通って少し曲がるだけだから、像は円いままのはずである。なぜ縦に伸びるのか。
彼の答え。**色によって、屈折する角度が違うから**。赤は曲がりにくく、紫は曲がりやすい。
**決定的な実験(experimentum crucis)**。
(1)プリズムで光を分ける。 (2)板に穴を開け、**一色だけ**を通す。 (3)その一色を、**二枚目のプリズム**に通す。
もしプリズムが色を「作る」なら、その一色は、さらに別の色に分かれるはずである。
**分かれなかった**。
赤は赤のまま。角度が変わるだけ。
(4)逆に、分けた色を、レンズと二枚目のプリズムで**もう一度集める**と、**白い光に戻る**。
結論。
**白色光は、単純ではない。それは、あらゆる色の混合である。プリズムは、色を作っているのではなく、分けているだけである**。
**発表と論争**。
1672年、王立協会に「光と色についての新理論」を送った。彼の最初の公刊論文である。
**ロバート・フック**が、直ちに反論した。フックは光を波と考えており(『ミクログラフィア』1665年)、ニュートンの粒子説的な含意を批判した。
ニュートンは、この論争に激しく傷ついた。彼は「公刊すると、こういう目に遭う」と学び、以後、発表を極端に嫌うようになる。
(フックとの確執は生涯続いた。フックが1703年に死ぬまで、ニュートンは『光学』の刊行を控えた、という説がある。)
**『光学』**(1704年)。
英語で書かれた(『プリンキピア』はラテン語)。実験の記述が中心で、数学を使わない。読みやすい。
内容。光と色の理論、反射と屈折、薄膜の色(「ニュートン環」)、回折。
そして、巻末の「**疑問(Queries)**」——31の問い。ここで彼は、光と物質の関係、化学、電気、そして神について、大胆に推測した。18世紀の物理学と化学の研究計画になった。
**反射望遠鏡**。
色による屈折の差は、レンズを使う望遠鏡に、色のにじみ(色収差)を生む。
ニュートンは「これは原理的に除けない」と考え(実際には後にアクロマート・レンズで除けることが分かる)、レンズの代わりに**鏡**を使う望遠鏡を作った(1668年)。
彼は、鏡の合金を自分で作り、自分で磨いた。長さ15cm。これで木星の衛星が見えた。
1671年、王立協会に提出。翌年、彼は会員に選ばれた。
現在の大型望遠鏡は、すべて反射式である。
**ゲーテの反論**。
1810年、**ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ**が『**色彩論**』を発表した。
彼は自分でプリズムを覗いて、こう考えた。白い壁を見ても、色は出ない。色は、**明と暗の境目**に現れる。
彼の主張。色は、光そのものの性質ではなく、**光と闇の相互作用**から生まれる。
そして、ニュートンの実験は、暗い部屋で、細い光線を使うという**人工的な条件**で行われている。自然の中の色を説明していない。
ゲーテは、この本を自分の最高の業績と考えていた(詩よりも)。物理学者は、相手にしなかった。
(彼の物理学は誤っている。しかし、彼の**生理的な色彩**の観察——残像、対比、影の中の色——は正確で、ヘルムホルツとヘリングの色覚研究、そして画家たち〈ターナー、そして印象派〉に影響を与えた。)
**その後**。
- 1801年、**トマス・ヤング**の二重スリット実験。光は波である。 - 1860年代、**マクスウェル**。光は電磁波である。 - 1900年、**プランク**。1905年、**アインシュタイン**の光量子。光は粒子でもある。
ニュートンの粒子説は、一度否定され、形を変えて戻ってきた。
しかし、彼が1666年の暗い部屋で示したこと——**白い光は色の混合である**——は、そのまま生き残っている。
彼の墓碑銘(ウェストミンスター寺院)に、その仕事が列挙されている。「彼は、ほとんど神的な精神の力によって、……**光線の異なる屈折率と、そこから生じる色の性質を**、初めて示した」。