できごと

村田珠光と侘び茶

Murata Jukō and wabi tea
AD1490年頃
年に諸説あり重要度 4
シベリアの諸集団白帳ハン国明チベットパガン朝シュリーヴィジャヤアユタヤ朝日本朝鮮王朝スコータイ朝大越大越アイヌモシリAD1490年頃奈良
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1490年頃の版図を描いています(13勢力)。

概要

奈良の称名寺の僧で、大徳寺の一休宗純に参禅した。それまでの茶は、唐物の名器を並べて競う書院の茶か、賭けをする闘茶だった。珠光は、四畳半の狭い座敷で、唐物の中に和物(信楽・備前の粗い焼物)を混ぜた。「藁屋に名馬をつなぎたるがよし」。「月も雲間のなきは嫌にて候」。武野紹鴎、そして千利休へ。

場所

奈良
34.69°N 135.81°E · 奈良県

関わった人(1)

村田珠光AD1423年–AD1502年 · 始めた

本文

室町時代の茶は、いまの茶道とはずいぶん違うものだった。武家や公家の屋敷の広い座敷に、中国から渡ってきた「唐物(からもの)」の名品を飾る。青磁の花入れ、天目の茶碗、宋や元の画家の掛け軸を並べ、その見事さを客に見せる。茶は、そうした道具の鑑賞と饗応の一部だった。町では、茶を飲んで産地を当てる「闘茶」が流行し、品物や金を賭けた。足利将軍家に仕えた同朋衆は、唐物の目利きと飾り方の決まりを整え、銀閣と東山文化に象徴される書院の飾りの美を作り上げていった。

その中から、まったく別の茶のあり方を考えた人物が現れる。村田珠光である。1423年に奈良に生まれ、若くして浄土宗の称名寺に入ったが、寺の勤めになじまず、寺を出たと伝えられる。のちに京都で茶の湯を学び、大徳寺の禅僧、一休宗純のもとに参禅したとされる。一休から、宋の禅僧圜悟克勤の墨跡を、悟りを認めるしるしとして授かったという話も伝わる。ただし、珠光の生涯には史料の乏しいところが多く、こうした話の多くは後の茶人たちの書き残した伝えに頼っている。

珠光の茶の特徴は、まず座敷の狭さにある。広い書院ではなく、四畳半ほどの小さな部屋で、亭主と少数の客が向き合う。そして道具の取り合わせを変えた。唐物の名品だけでなく、信楽や備前で焼かれた素朴な国産の焼き物を、茶の道具として座敷に持ち込んだ。整った完璧な器と、土の肌がむき出しの粗い器とを、同じ席に並べたのである。

珠光の考えをよく伝えるのが、弟子の古市播磨にあてたとされる「心の文」と呼ばれる手紙である。そこで珠光は、この道でいちばん悪いのは慢心と執着だと戒め、和と漢の境をなくすことが大切だと説いた。また、初心の者が備前や信楽の器を持って枯れた境地を気取るのは見苦しい、とも書いている。粗末なものを好めばよいのではなく、名品の良さを知り尽くした者が、そのうえで素朴なものの味わいに至るのだ、という順序がある。

後の書物は、珠光の言葉として二つの言い回しを伝えている。一つは「藁屋に名馬をつなぎたるがよし」。藁ぶきの粗末な小屋に名馬がつながれている姿こそ趣がある、という意味で、質素な座敷に一つの名品が置かれる美しさを言ったものとされる。もう一つは「月も雲間のなきは嫌にて候」。雲一つない空の満月よりも、雲の間に見え隠れする月のほうが心にしみる、という意味である。欠けたもの、隠れたものにこそ美を見る感じ方が、ここに表れている。どちらも珠光が直接書いたものではなく、弟子筋や後の人々の聞き書きに残った言葉である。

珠光の茶は、禅の考えとも深く結びついていた。茶を飲むことそのものを修行と重ね合わせる「茶禅一味」という考えは、後世、一休と珠光の関係にさかのぼると語られるようになる。また、八代将軍足利義政に茶を指南したという話もあるが、これは後世に作られた伝えとみる研究者が多い。

珠光は1502年に亡くなった。彼の始めた茶は、堺の豪商たちの間で受け継がれた。堺の武野紹鴎は、歌道の素養をもとに珠光の茶をさらに深め、より質素な道具立てを工夫した。その紹鴎に学んだ千利休が、2畳ほどのさらに狭い茶室や、楽焼の黒い茶碗を用いて、「侘び茶」を完成させる。利休の弟子の山上宗二が書き残した書物は、珠光を茶の湯の開山として位置づけている。

珠光が持ち込んだのは、名品の値打ちを競う茶から、不足の中に美しさを見いだす茶への転換だった。豪華さを否定したのではない。豪華なものと素朴なもの、外国のものと自国のものを同じ席に置き、その取り合わせに亭主の心を表すことを始めたのである。応仁の乱で都が焼け、古い秩序が崩れていった時代に、この新しい美意識は生まれた。

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