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Event / できごと

モンロー宣言

Monroe Doctrine
AD1823年12月2日
重要度 5

概要

ラテンアメリカが独立し、スペインとその同盟が取り戻しに来るかもしれなかった。モンロー大統領の年次教書。「アメリカ大陸はヨーロッパの植民の対象ではない。ヨーロッパの干渉は合衆国への敵対とみなす。合衆国もヨーロッパに干渉しない」。実際に守ったのはイギリスの海軍だった。80年後、ローズヴェルトが「合衆国が干渉する」に読み替えた。

場所

ワシントンD.C.
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国

関わった人(1)

ジェームズ・モンローAD1758年4月28日–AD1831年7月4日 · 宣言した

本文

1815年から、ラテンアメリカが次々に独立した。1822年、合衆国が承認した。スペインは取り戻したかった。1823年、フランスがスペインの自由主義革命を潰して、フェルナンド7世を戻した。次はアメリカか、とイギリスが心配した。イギリスはラテンアメリカと商売を始めていた。外相カニングが合衆国に「共同宣言をしよう」と言った。

ジェファーソンとマディソンは「イギリスと組め」と言った。国務長官ジョン・クインシー・アダムズは「イギリスの軍艦の後ろについて行くボートになるな」と言った。単独で。

1823年12月2日、モンロー大統領の議会への年次教書。外交の部分をアダムズが書いた。

「アメリカ大陸は、自由で独立した状態を獲得し維持しているのであり、今後、ヨーロッパのいかなる国の将来の植民の対象ともみなされない」。「ヨーロッパの国がこの半球のいかなる部分にも、その体制(君主制)を広げようとする試みは、我々の平和と安全に対する危険とみなす」。「我々は、ヨーロッパの国の戦争に、これまで干渉しなかったし、今後も干渉しない」。

ロシアがアラスカから南に来ている(1821年、皇帝が北緯51度以南を禁じた)ことへの答えでもあった。

ヨーロッパは無視した。メッテルニヒは「傲慢な」と言った。合衆国には海軍がなかった。ラテンアメリカを守ったのはイギリスの海軍で、イギリスはそれで商売を守った。1833年、イギリスがフォークランドを取り、合衆国は何もしなかった。1861〜67年、フランスがメキシコに皇帝を置き、合衆国は南北戦争で何もできなかった。

「モンロー主義」の名は1850年代から。1895年、ヴェネズエラの国境争いでオルニー国務長官が「合衆国はこの大陸で事実上の主権者だ」。1904年、セオドア・ローズヴェルトの「系論」。「ラテンアメリカの国が秩序を保てないなら、合衆国が国際警察として干渉する」。それから、キューバ、ドミニカ、ニカラグア、ハイチ、パナマ。モンローの「ヨーロッパは手を出すな」が、「合衆国が手を出す」になった。

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