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Person / 人

ジェームズ・モンロー

James Monroe
AD1758年4月28日 – AD1831年7月4日(享年73)
アメリカ合衆国重要度 4

概要

ヴァージニア。独立戦争でトレントンで負傷。ジェファーソンの弟子。フランス公使としてルイジアナ購入を交渉した。5代大統領。「好感情の時代」。ミズーリ協定(1820年、奴隷州と自由州を1対1で)、フロリダ購入、モンロー宣言。宣言を書いたのは国務長官ジョン・クインシー・アダムズ。7月4日に死んだ(ジェファーソンとアダムズと同じ日)。

所属

アメリカ合衆国

関わったできごと(1)

モンロー宣言AD1823年12月2日 · 宣言した

本文

1758年、ヴァージニアのウェストモアランド郡。農園主の子。ウィリアム・アンド・メアリー大学を、独立戦争で辞めた。1776年12月、トレントン。ワシントンの渡河。肩に銃弾を受けた。ラファイエットと友人に。1780年、ジェファーソンに法律を学んだ。

大陸会議の議員(1783〜86年)。上院議員。1794年、フランス公使。フランス革命に熱狂しすぎてワシントンに呼び戻された。ヴァージニア知事。1803年、ジェファーソンがまたパリへ送った。ニューオーリンズを買う交渉。ナポレオンがルイジアナ全部を1500万ドルで売ると言った。買った。国土が2倍になった。イギリス公使。1811年、マディソンの国務長官。1812年戦争で陸軍長官も兼ねた。

1816年、大統領。1820年、再選(選挙人1票を除いて全部。1票は「ワシントン以外の満場一致はない」ために反対した、と言われる)。連邦党が消えて、党が一つだけ。「好感情の時代」。ニューイングランドを旅した。

1819年、恐慌。1819〜21年、ミズーリ問題。ミズーリを奴隷州として入れるか。北部が反対した。「火事のベルが夜に鳴った」とジェファーソン。妥協。ミズーリは奴隷州、メインは自由州、以後、北緯36度30分の北には奴隷州を作らない。1819年、スペインからフロリダを買った(アダムズ・オニス条約)。1823年、モンロー宣言。

1825年、退任。借金があった。1830年、妻が死んで、ニューヨークの娘の家へ。1831年7月4日、死んだ。73歳。独立記念日に死んだ3人目の大統領(アダムズとジェファーソンは1826年の同じ日)。

リベリアの首都モンロビアは、彼の名(アメリカ植民協会が解放奴隷をアフリカへ送った。モンローは支持した)。奴隷を持っていた。75人。