できごと

リテラリー・ダイジェストの失敗

The Literary Digest debacle
AD1936年11月3日
重要度 5
大英帝国カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国デンマークメキシコDominion of NewfoundlandホンジュラスキューバグアテマラAD1936年11月3日ニューヨーク
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1936年11月3日の版図を描いています(10勢力)。

概要

雑誌リテラリー・ダイジェストは、それまで五回続けて、大統領選を的中させていた。1936年は千万通の葉書を送り、二百四十万通の回答を得る。予測はランドン勝利、ローズヴェルトは四割強。結果は、ローズヴェルトが六割を超える圧勝だった。名簿を電話帳と自動車の登録から作ったため、大恐慌下で電話と車を持てる層に偏っていた。回答した者だけが集計されたことも効いている。一方、五万人の設計された標本で当てたギャラップが世に出た。数の多さは、偏りを直さない。

場所

ニューヨーク
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国

関わった人(1)

ジョージ・ギャラップAD1901年11月18日–AD1984年7月26日 · 当てた

本文

『リテラリー・ダイジェスト』は、20世紀の初めのアメリカで広く読まれた週刊誌だった。新聞や雑誌の論調を要約して載せるのが売りで、1916年からは大統領選の行方を占う模擬投票を行っていた。読者や名簿に載った人に投票用紙の葉書を送り、返ってきた票を数える。1916年のウィルソン、1920年のハーディング、1924年のクーリッジ、1928年のフーヴァー、1932年のフランクリン・ローズヴェルトと、この雑誌は勝者を続けて当てていた。1932年の予測は、得票率でもかなり実際に近かった。ダイジェストの模擬投票は、信用のおける予測として世間に受け入れられていた。

1936年の選挙は、ニューディールを進めてきた現職のローズヴェルトと、共和党のカンザス州知事アルフレッド・ランドンの争いだった。ダイジェストは、これまでで最大の規模で模擬投票を行った。送った葉書はおよそ1000万通、返ってきたのは約240万通である。名簿のもとにしたのは、電話帳、自動車の登録簿、クラブの会員名簿、そして自誌の購読者だった。集計の結果、ランドンが約57パーセント、ローズヴェルトが約43パーセントと出た。雑誌は、ランドンが勝つと予測した。

ニューディールに関わる図版:New Deal collage
ニューディールWikimedia Commons LordHarris at English Wikipedia · Public domain

1936年11月3日の投票の結果は、まるで逆だった。ローズヴェルトが得票率60.8パーセント、選挙人531人のうち523人を取る地滑り的な勝利を収めた。ランドンが勝ったのはメイン州とヴァーモント州だけで、得票率は36.5パーセントにとどまった。ダイジェストの予測は、ローズヴェルトの得票率を20ポイント近く読み違えていた。

なぜ外れたのか。まず名簿の偏りが挙げられる。1936年は大恐慌のさなかである。電話を引き、自動車を持てる家は、比較的豊かな家だった。そして豊かな層ほど共和党を支持する傾向が強かった。1936年の選挙は、ニューディールと労働組合をめぐって、所得や階級によって票がはっきり分かれた選挙だった。1932年までの選挙では、階級による割れ方はそれほど強くなかったので、同じ偏った名簿でも勝者を当てられた。それが、この年には致命傷になった。

『リテラリー・ダイジェスト』誌(1921年2月19日号)
『リテラリー・ダイジェスト』誌(1921年2月19日号)Wikimedia Commons Agnes M. Watson · Public domain

もう一つは、答えた人の偏りである。1000万通を送って、返ってきたのは240万通、4分の1に満たない。残りの760万人は何も答えなかった。葉書を返すのは、どんな人か。現状に不満を持ち、変えたいと強く思っている人ほど、わざわざ返事を書く傾向がある。1936年には、ニューディールに反対する人々が熱心に葉書を返した可能性が高い。のちに1937年の世論調査のデータを分析した研究(スクワイア、1988年)は、名簿の偏りより、この答えた人の偏りのほうが大きく効いていた可能性を示している。いずれにせよ、240万という数は、外れを防ぐ役に立たなかった。むしろその数の大きさが、予測への確信を強めた。

同じ選挙で、まったく別のやり方を取ったのがジョージ・ギャラップである。アイオワ出身の彼は広告会社で読者調査を手がけたのち、1935年にアメリカ世論研究所を設立していた。ギャラップはずっと小さな、数万人の標本を使い、性別や年齢や地域、収入などの割合が全体に合うように調べる相手を選んだ。そしてローズヴェルトの勝利を予測した。得票率の予測は実際とは数ポイントずれていたが、勝敗は当てた。

ジョージ・ギャラップ(1961年)
ジョージ・ギャラップWikimedia Commons Norman James · Public domain

ギャラップの名を一躍高めたのは、もう一つの予測だった。彼は選挙の前に、ダイジェストの調査は外れるだろうと公言し、ダイジェストと同じような名簿から小さな標本を取って、ダイジェストがどんな数字を出すかまで言い当ててみせたのである。数の多さではなく、誰に聞くかが結果を決めることを、これほど鮮やかに示した例は無かった(少ない標本で当てる)。

ダイジェストは、この失敗から立ち直れなかった。もともと大恐慌で経営は苦しくなっていたが、看板の予測が大外れしたことで信用を失い、2年後の1938年には廃刊に追い込まれ、雑誌『タイム』に吸収された。

ただし、ギャラップの方法も、完全な無作為抽出ではなかった。割当法と呼ばれるやり方で、男性を何人、女性を何人、この年齢層を何人、と枠を決め、調査員がその枠に合う人を自分で見つけて話を聞く。枠の中で誰を選ぶかは、調査員の判断に任されていた。この弱点は、12年後に表に出る。1948年の大統領選で、ギャラップを含む主な調査会社はそろって共和党のデューイの勝利を予測し、実際にはハリー・トルーマンが勝った。シカゴの新聞は「デューイ、トルーマンを破る」という見出しを刷ってしまい、当選したトルーマンがその紙面を掲げて笑う写真が残った(外れた見出し)。調査員が声をかけやすい人を選んでいたこと、そして調査を投票日より早く打ち切り、最後の数週間の票の動きを見逃したことが原因とされた。

この失敗を境に、世論調査の世界は、調べる相手を確率にもとづいて選ぶ方法へ移っていく。その理論の土台は、1934年にネイマンが示していた(無作為抽出)。ミシガン大学やシカゴ大学の研究所が、確率にもとづく抽出による社会調査を育てた。

それでも、世論調査の外れは繰り返されている。1992年のイギリスの総選挙では、保守党に投票する人の一部が調査にそう答えなかったと言われ、調査はそろって外れた。2016年には、イギリスの欧州連合離脱の国民投票と、アメリカの大統領選で、多くの調査が結果を読み違えた(調査が当たらない)。2020年のアメリカの大統領選でも、州ごとの調査に大きなずれが出た。

1936年の失敗が教えることは、90年近くたってもほとんど変わっていない。数を多く集めても、偏りは直らない。考えるべきなのは、何人に聞いたかより、誰に聞いたのか、そして誰が答えていないのかである。240万通の葉書の山は、そのことを示す最も有名な例として、いまも統計の教科書に載り続けている。

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