概要
ピサの商人の子レオナルドは、父の任地である北アフリカのブジーで、アラビアの数字と計算法を学んだ。帰国して書いたこの本は、9つの数字と「ゼフィルム」(ゼロ)による筆算を、ヨーロッパの商人に教えるためのものだった。利息、両替、比例配分、そして有名なうさぎの問題(各項が前の二項の和になる数列)。ローマ数字とそろばんに代わって、紙の上で計算する方法が広まった。フィレンツェは1299年、帳簿での新数字の使用を一度は禁じている。
場所
43.72°N 10.40°E · イタリア
関わった人(1)
レオナルド・フィボナッチAD1170年頃–AD1250年頃 · 書いた本文
12世紀のヨーロッパの計算は、こうだった。
数はローマ数字で書く。MCMXLVII。これで筆算はできない。だから、計算は**そろばん盤**(アバクス。溝を切った板に石を置く)で行い、結果だけをローマ数字で書き留める。
商人は、そろばん師(アバキスト)を雇うか、自分で盤を扱った。掛け算と割り算は、専門の技能だった。
**レオナルド**。1170年頃、ピサ生まれ。父グリエルモ・ボナッチはピサの商人で、ブジー(現アルジェリアのベジャイア)にあるピサ商人の交易所の役人になった。
少年は父に呼ばれ、北アフリカへ行った。彼は書いている。
「父は、私が将来役に立つよう、私を数日、そこに留めて算術の学校へ通わせた。そこで、私はインドの九つの数字による、驚くべき技術を教えられた。その知識が、私にはこの上なく喜ばしかった」。
その後、彼はエジプト、シリア、ギリシア、シチリア、プロヴァンスを旅し、各地の計算法を比較した。
**1202年**、『**リベル・アバチ**』(算盤の書。実際にはそろばんを使わない計算の書である)。15章、約600ページ。
**冒頭**。
「九つのインドの数字は、9 8 7 6 5 4 3 2 1 である。この九つの数字と、アラビア人がゼフィルムと呼ぶ記号 0 とによって、いかなる数も書き表すことができる」。
(ゼフィルム zephirum は、アラビア語の sifr「空」から。この語が、イタリア語 zero と、英語 cipher の両方の祖先になる。)
**内容**。
第1〜7章、数の書き方と四則。第8〜11章、商業の計算——商品の値段、両替、利息、混合物(金属の合金の配合)、分配。第12〜13章、雑多な問題。第14〜15章、平方根と幾何と代数。
彼が力を入れたのは、**実務**である。何ソルドゥスで何個買えるか。三つの都市で通貨が違うとき、どう換算するか。三人が資本を出し合った事業の利益をどう分けるか。
**うさぎ**。
第12章に、一つの問題がある。
「一つがいのうさぎを囲いに入れる。うさぎは生後2か月から、毎月一つがいの子を産む。1年後、何つがいになるか」。
答えを月ごとに並べると、1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 233。
各項が前の二項の和になる。この数列に、19世紀の数学者エドゥアール・リュカが「**フィボナッチ数列**」の名を与えた。
(レオナルド自身は、この数列を大して重視していない。生物学的にも非現実な設定である。この数列は、彼より前にインドの韻律学——長短の音節の並べ方の数え方——で知られていた。)
隣り合う項の比は、黄金比(約1.618)に近づく。松ぼっくりの鱗、ヒマワリの種、巻貝の螺旋にこの数が現れる、という話が広く語られている(実例のいくつかは本物だが、誇張された当てはめも多い)。
**普及**。
すぐには広まらなかった。
抵抗があった。(1)そろばん師の既得権。(2)**改竄の危険**。0は6や9に、1は7に、簡単に書き換えられる。ローマ数字は改竄しにくい。
1299年、**フィレンツェ**が、両替商に対して、帳簿でアラビア数字を使うことを禁じる規則を出した。ローマ数字か、言葉で書け、と。
それでも、実務の便利さが勝った。14世紀以降、イタリアの商業都市に「そろばん学校(スクオーラ・ダバコ)」ができ、商人の子が新しい計算法を習った。
(そこで教えたのは、まさに『算盤の書』の系統の教科書である。レオナルド・ダ・ヴィンチも、この種の学校に通っている。)
**複式簿記**。1494年、ルカ・パチョーリの『算術・幾何・比及び比例全書』が、複式簿記を初めて印刷で記述した。彼が使うのも、この数字である。
**その後のレオナルド**。1225年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の宮廷で、数学の「試合」に出た。宮廷の数学者が出した三つの難問を解いた(『花(フロス)』にその解答が残っている)。
1240年、ピサ市が彼に年金を与える決議をした。「思慮深く学識ある人、レオナルド・ビガロ」への感謝として。彼が市の会計の助言をしていたことが分かる。
没年は不明。1250年頃とされる。
「フィボナッチ」(ボナッチの子)という呼び名は、19世紀の数学史家ギヨーム・リブリが付けたものである。