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Event / できごと

一ノ谷の戦い

Battle of Ichi-no-Tani
AD1184年(寿永3年)2月
重要度 4

概要

福原に戻った平家を、範頼が正面から、義経が裏の崖から。「鵯越の逆落とし」。平家は船で海へ逃げ、平敦盛が熊谷直実に討たれた。16歳。『平家物語』の最も有名な場面。義経の名が上がり、頼朝の疑いが始まった。

場所

一ノ谷
34.63°N 135.08°E · 兵庫県神戸市

関わった人(1)

源義経AD1159年–AD1189年6月15日(文治5年閏4月30日) · 崖を下った

本文

1184年1月。義仲が死んだ。 平家。福原。 「一ノ谷、生田、と陣を」。 「後白河が、和平を言って、平家を油断させた」。 2月4日。清盛の三回忌。 2月5日。義経が三草山で平資盛を夜襲。 2月7日。 生田の森。範頼5万。平知盛。「梶原景時の二度駆け」。 一ノ谷。西の口。土肥実平。 義経。70騎。 鵯越。 「鹿が通るなら、馬も通る」。 「畠山重忠が馬を背負った」。 崖。 「平家の陣の裏に、落ちた」。 「火」。 「平家は海へ」。 熊谷直実。 「敦盛」。 「16歳。笛。『青葉』」。 「我が子と同じ年」。 「泣いて、首を」。 直実は、後に法然の弟子に。「蓮生」。 平忠度。「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」。俊成に託した。 平通盛、平経正、平経俊、平師盛、平業盛、平知章。 「一門の半分」。 「平重衡が、捕えられた」。「南都を焼いた男」。鎌倉へ。 「屋島へ」。 「鵯越は、どこか」。 「一ノ谷の裏の鉢伏山か、それより東の、生田の裏か」。 「義経が落ちた場所は、分からない」。 「あるいは、落ちていない」。 「多田行綱が、山の手を」。 『吾妻鏡』。 「義経の逆落としは、『平家物語』」。 「須磨」。 「須磨寺。敦盛の笛」。 「敦盛塚」。 「幸若舞『敦盛』。『人間五十年』。信長」。 「一ノ谷」。 「神戸市須磨区」。 「海と山の間、数百メートル」。

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