概要
木曽義仲が北陸で平維盛の10万を峠で夜襲し、谷に追い落とした。牛の角に松明をつけて放ったという「火牛の計」は後の話。平家は北陸を失い、2か月後に都を捨てて西へ。義仲が京に入り、都の人は「田舎者」と嫌った。
場所
倶利伽羅峠
36.63°N 136.83°E · 石川県・富山県
36.63°N 136.83°E · 石川県・富山県
本文
木曽義仲。1154年。頼朝の従兄弟。 「父義賢は、頼朝の兄義平に殺された。2歳」。 「木曽の中原兼遠が育てた」。 1180年9月、挙兵。 1181年、横田河原。城氏を破った。 1183年4月。平維盛。10万。「北陸へ」。 「飢饉で、平家は、北陸の米が要った」。 5月9日。般若野。 5月11日。倶利伽羅峠。砺波山。加賀と越中の境。 「平家は峠の西、猿ヶ馬場。義仲は東」。 「昼、対峙。義仲は、夜まで待った」。 「7手に分けた。樋口兼光を平家の後ろへ」。 「夜。鬨の声。前から、後ろから、横から」。 「平家は、谷へ。地獄谷」。 「火牛」。 「牛の角に松明を結んで」。 『源平盛衰記』。 「『史記』の田単。斉。BC279年」。 「借りた話」。 『平家物語』には、火牛はない。 「7万が死んだ」。 5月、篠原。斎藤実盛。「髪を黒く染めて」。 「今井兼平」。 6月、越前。 7月、平家は都を出た。 7月28日、義仲、京へ。 「朝日将軍」。 「田舎者」。 「猫間中納言」。 「兵が、京の家を、荒らした」。 「後白河が、頼朝に、『義仲を』」。 11月、法住寺。義仲が院を攻めた。 1184年1月。宇治川。粟津。 「今井兼平と二人」。 「巴」。 31歳。 『平家物語』は、義仲を、田舎者で、最後は美しく。 「木曽殿」。 「義仲寺」。大津。芭蕉の隣。 倶利伽羅峠。 「火牛の像」。 「小矢部市」。 「借りた話が、像になった」。