できごと

ライプニッツの二進法

Leibniz and binary
AD1703年
重要度 4
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1703年の版図を描いています(25勢力)。

概要

0と1だけで、すべての数を書く。ライプニッツは1679年頃からこれを考え、1703年に論文として発表した。彼はイエズス会士から送られた『易経』の六十四卦の配列を見て、陰と陽が0と1に対応することに気づき、古代中国が同じ体系を持っていたのだと考えた(この解釈は現在では否定されている)。彼にとって二進法は、無(0)から神(1)がすべてを創る象徴でもあった。実用になるのは、電気の入切で計算する機械が現れてからである。

場所

ハノーファー
52.37°N 9.74°E · ドイツ

関わった人(1)

ゴットフリート・ライプニッツAD1646年7月1日–AD1716年11月14日 · 書いた

本文

0と1の二つの記号だけで、すべての数を書き表す。それが二進法である。私たちがふだん使う十進法では、一の位が9を超えると十の位に繰り上がる。二進法では、1を超えたところで次の位に繰り上がる。0、1、10、11、100、101。十進法の2は二進法で10、4は100、8は1000と書く。

二進法の考え方そのものは、ゴットフリート・ライプニッツ(1646〜1716年)が初めて思いついたものではない。古代エジプトの掛け算は、数を二倍、四倍、八倍と倍にしていく表を使っていて、二進法に近い考え方をしていた。古代インドでは、詩の韻律の長い音と短い音の組み合わせを数える学問の中に、二進法に似た数え方が現れる。中国の『易経』の卦も、陰と陽の二つの記号の組み合わせでできている。十七世紀のヨーロッパでも、イギリスのハリオットらが手稿の中で二進法を試していた。だが、それを一つの算術の体系として書き表し、深い意味を与えたのはライプニッツだった。

ゴットフリート・ライプニッツの肖像(クリストフ・ベルンハルト・フランケ画、1695年頃)
ゴットフリート・ライプニッツの肖像(クリストフ・ベルンハルト・フランケ画、1695年頃)Wikimedia Commons Christoph Bernhard Francke · Public domain

1679年3月、三十三歳のライプニッツは、「二進法の算術について」と題した短い草稿を書いた。そこで彼は、二進法での足し算、引き算、掛け算、割り算の規則を示した。二進法の掛け算の九九は、0かける0、0かける1、1かける1の三つしかない。桁は長くなるが、規則はこれ以上ないほど単純になる。

同じ草稿で、彼は二進法で計算する機械も思い描いていた。穴の開いた容器を用意し、その穴を開けたり閉じたりできるようにする。1にあたるところは穴を開け、0にあたるところは閉じる。開いた穴からは玉が落ち、閉じたところでは落ちない。玉の落ち方で数を表し、計算していく。この機械は作られなかったが、二つの状態の組み合わせで数を表して計算するという原理は、のちの計算機とまったく同じである。

ライプニッツが1697年に書いた書簡。2進法の記述が見える。
ライプニッツが1697年に書いた書簡。2進法の記述が見える。Wikimedia Commons Gottfried Wilhelm Leibniz · Public domain

ただし、ライプニッツが二進法に打ち込んだのは、実用のためではなかった。彼はこのころ、十進法で掛け算や割り算までこなす歯車の計算機を作っていた。パスカルの計算機を発展させたものである。歯車で計算するなら、桁が三倍以上に長くなる二進法をわざわざ使う理由はない。

彼を二進法に引きつけたのは、哲学と信仰だった。すべての数が、0と1だけから作られる。0は無を、1は一なるもの、すなわち神を表す。神が無からこの世のすべてを造ったように、1と0からすべての数が生まれる。ライプニッツは、二進法を天地創造を映す美しい像だと考えた。1697年、彼は仕えていたブラウンシュヴァイク家の公爵に宛てた新年の手紙で、この考えを記念するメダルの図案を提案している。表には0と1で書いた数の表を刻み、そこに「万物を無から導くには、一で足りる」というラテン語の言葉を添える。このメダルは、実際には作られなかった。

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツWikimedia Commons Johann Friedrich Wentzel · Public domain

ライプニッツは、生涯にわたって中国に強い関心を持っていた。中国に布教に行ったイエズス会の宣教師たち(イエズス会の創立)が送ってくる報告を熱心に読み、1697年には、宣教師たちの便りをまとめた『中国最新事情』を編んでいる。その序文で彼は、ヨーロッパは中国から日々の暮らしの道徳を学び、中国はヨーロッパから理論の学問を学ぶべきだと書いた。同じころ、北京の宮廷に仕えていたフランス人のイエズス会士ブーヴェとの文通が始まった。

1701年、ライプニッツはブーヴェに二進法の説明を書き送った。ブーヴェは、これを読んで、『易経』の六十四卦との関係に気づいた。返事の手紙に同封されていたのは、「伏羲の六十四卦の図」だった。伝説上の古代の帝王である伏羲が作ったとされる卦を、十一世紀の宋の学者邵雍が一定の順序に並べ直した図である。手紙がライプニッツのもとに届いたのは、1703年の4月だった。

ライプニッツの肖像(ハノーファー市立図書館、1703年)
ライプニッツの肖像(ハノーファー市立図書館、1703年)Wikimedia Commons Andreas Scheits · Public domain

易の卦は、陽を表す一本の棒と、陰を表す途中で切れた棒を、六段に積み重ねてできている。組み合わせは六十四通りある。ライプニッツは、陰を0、陽を1と読んでみた。すると、邵雍の図の卦の並び方は、0から63までの数を二進法で書いた順序と、ぴたりと一致した。

彼は大いに喜んだ。古代中国の聖人は、すでに二進法を知っていたのだ。だが後世の中国人はその意味を忘れ、卦を占いの道具としてしか使わなくなってしまった。自分はいま、数千年ぶりにその意味を解き明かしたのだ、と。同じ年、ライプニッツはパリの科学アカデミーに論文を送った。題は「0と1の記号のみを用いる二進法算術の解説。その効用と、それが伏羲の古代中国の図に与える光について」である。

ポーランド国立図書館所蔵のライプニッツ書簡の頁
ポーランド国立図書館所蔵のライプニッツ書簡の頁Wikimedia Commons Gottfried Wilhelm Leibniz · Public domain

この解釈は、いまでは否定されている。邵雍の配列は、古代からの易の伝統的な並べ方ではなく、宋の時代に彼が自分の哲学に基づいて整理したものだった。そして、二種類の記号を決まった規則で漏れなく並べていけば、その順序は自然と二進法の数の順になる。中国の側に、卦を位取りのある数として読む考えがあったわけではない。ライプニッツは、自分の発見に古代の権威の裏づけを見いだしたかった。それは、東と西の知恵が根の深いところで一つにつながっているという、彼の生涯の願いにもかなっていた。

二進法は、その後二百年以上、ほとんど実用にならなかった。転機は十九世紀半ばに訪れる。1854年、イギリスの数学者ジョージ・ブールが、人の論理的な推論を、0と1の二つの値だけを取る代数として書き表した。そして1937年、アメリカの大学院生クロード・シャノンが、修士論文の中で、電気のスイッチをつないだ回路の働きが、ブールの代数でそのまま表せることを示した。スイッチを直列につなげば「かつ」、並列につなげば「または」になる。電気が流れるか流れないかの二つの状態を1と0に当てれば、電気の回路で論理の計算ができ、ひいては数の計算ができる。

ハノーファーのライプニッツ神殿にある胸像の複製
ハノーファーのライプニッツ神殿にある胸像の複製Wikimedia Commons Axel Hindemith · Public domain

その後、ドイツのツーゼやアメリカの研究者たちが、二進法で動く計算機を次々に作った。十進法で動いた初期の大型計算機(ENIAC)の後、計算機の設計は二進法へ移っていき、いまでは世界のほとんどすべての計算機が、0と1で動いている。一つの部品に計算機の頭脳を収めた小さな素子(一つの部品に計算機を)も、中では無数のスイッチが0と1を切り替えている。

ライプニッツが「無から万物を」と刻もうとしたメダルは、ついに作られなかった。だが、0と1からすべてを作り出すという彼の夢は、三百年後、思いもよらなかった形で実現している。

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