概要
ガラスの窓は、ローマにもあったが、中世には教会と宮殿のものだった。小さな円形ガラス(クラウン・ガラス)を鉛の桟で継ぐ。1688年、フランスのサン=ゴバン王立工場が、溶けたガラスを鉄の台に流して延べ、冷ましてから磨く方法を工業化した。大きな平らな板が作れる。ヴェルサイユの鏡の間はこの技術による。19世紀、円筒法と機械研磨で値段が下がり、庶民の家に窓が入った。室内が明るくなり、そして店の陳列窓が生まれた。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
**ガラスの窓**。
ローマ帝国は、板ガラスを作っていた。ポンペイの浴場から、窓ガラスが出土している。厚く、緑がかり、あまり透明ではない。
西ローマの崩壊とともに、この技術の多くが失われた。
**中世**。
窓は、**開口部**である。木の鎧戸、あるいは油を塗った布、薄く削った獣角、雲母、油紙。
ガラスは、**教会と、王侯の館**にしかない。
**製法**。
(1)**クラウン法**。
溶けたガラスを竿の先に取り、吹いて球にし、竿から外して、鉄の棒(ポンティル)に付け替える。
そして、**高速で回転させる**。遠心力で、球が平らな円盤に広がる。直径1.5mほど。
冷まして、円盤から四角い板を切り出す。
問題。円盤の**中心**には、ポンティルを付けた跡が、盛り上がって残る。これを「**ブルズアイ**(牛の目)」と呼ぶ。
(安い建物では、この中心部も捨てずに使った。古いパブや店の窓に、渦を巻いた厚い部分があるのは、これである。いまは逆に「古風な」意匠として、わざと作られる。)
(2)**シリンダー法(ブロード法)**。
長い円筒に吹き、両端を切り落として、縦に切れ目を入れ、炉で再加熱して開き、平らに延ばす。
大きな板が取れるが、**表面が波打つ**。
**サン=ゴバン**。
17世紀後半、フランス。ルイ14世の財務総監**コルベール**の重商主義政策。
問題があった。フランスは、**ヴェネツィアから鏡を輸入していた**。
ムラーノ島のガラス職人は、その技術を国外に持ち出すことを禁じられていた(違反すれば、暗殺者が送られる、という話が伝わっている)。
コルベールは、職人を**引き抜いた**。1665年、王立ガラス製造所を設立。
そして、**1688年**。
**ベルナール・ペロー**(あるいは工場の技術者たち)が、新しい方法を実用化した。
**鋳込み法(キャスティング)**。
溶けたガラスを、**平らな鉄の台の上に流す**。
ローラーで延ばして、厚みを均一にする。
冷ましてから、**研磨する**。砂と水をかけながら、円盤で両面を磨き、最後に酸化鉄の粉で仕上げる。
これで、**大きく、平らで、歪みのない板ガラス**ができる。
(研磨は、極めて手間がかかった。当初は人力、後に水車、そして蒸気機関。)
**ヴェルサイユ**。
1684年に完成した**鏡の間**(ギャルリー・デ・グラス)。
長さ73m。17の窓に対応して、17のアーチに、**357枚**の鏡が張られている。
当時、これほどの量の鏡は、王家以外に持てなかった。それが、まさに誇示の目的である。
(初期の鏡は、まだヴェネツィア製が混じっていたとされる。サン=ゴバンの技術が完成した後、フランスは鏡の輸入国から輸出国になった。)
**値段が下がる**。
19世紀、工業化が進んだ。
- 1830年代、**円筒法の改良**。より大きな円筒を吹く(後に、機械で引き上げる)。 - 1850年代、蒸気機関による**機械研磨**。 - 1888年、**チャンス社**(イギリス)の改良。 - 1913年、**フルコール法**(ベルギー)。溶けたガラスから、板を連続して垂直に引き上げる。 - 1959年、**フロート法**(ピルキントン社、イギリス)。**溶けた錫の上に、溶けたガラスを浮かべる**。錫は比重が大きく、融点が低く、ガラスと反応しない。ガラスは自らの重さで完全に平らになり、**研磨がまったく要らない**。
現在の板ガラスの、ほぼすべてがこの方法で作られている。
**帰結**。
**(1)室内が明るくなった**。
18〜19世紀、住宅の窓が大きくなった。読書、裁縫、細かい手仕事が、日中の室内でできるようになった。
(イギリスには**窓税**があった。1696〜1851年。窓の数に応じて課税される。そのため、**窓を塞いだ家**が大量にある。いまも、レンガで埋められた窓の跡が残る建物を見ることができる。「daylight robbery(白昼の強盗)」という言い回しの語源だ、という説があるが、確証はない。)
**(2)温室**。
1851年、**水晶宮**(クリスタル・パレス)。ロンドン万国博覧会のために、ジョセフ・パクストンが設計した。
鉄の骨組みと、**約30万枚**の板ガラス。長さ563m。
建設に、わずか**9か月**。規格化された部材の組み立てによる。
(パクストンは庭師である。彼はオオオニバスの葉の裏の葉脈の構造から、この骨組みを着想した、と語っている。)
**(3)店の陳列窓**。
大きなガラスが安くなると、店の正面がガラスになった。
**ウィンドウ・ショッピング**が生まれた。買わずに見る、という行為。
そして、**百貨店**。1852年、パリのボン・マルシェ。1858年、ニューヨークのメイシーズ。
大きなガラスと、ガス灯(後に電灯)が、商品を「見せる」ことを可能にした。
ヴァルター・ベンヤミンが『**パサージュ論**』で書いたのは、この空間である。ガラス屋根の商店街を歩く人(**遊歩者**)。
**(4)建築**。
鉄とガラス。そして20世紀、鉄骨とガラスのカーテンウォール。
1958年、シーグラム・ビル(ミース・ファン・デル・ローエ)。壁が構造を支えない建物では、外皮を全部ガラスにできる。
**(5)そして、鏡**。
安価な鏡が家庭に入ったのは、19世紀である。
それまで、多くの人は、**自分の顔を、はっきりとは見たことがなかった**。水面と、磨いた金属の、ぼやけた像だけ。
(歴史家たちが、これと近代の自我意識との関係を論じている。自分の顔を毎日見ることは、自分を対象として見ることでもある。)