概要
長州が京都へ攻め上って敗れ、朝敵とされた。ここから長州は追い詰められていく。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
久坂玄瑞AD1840年–AD1864年8月20日 · 自刃本文
長州が京都に兵を進め、御所の門をめぐって戦闘になった。 迎え撃ったのは会津・薩摩・桑名の兵である。
御所に向けて発砲したことで、長州は朝敵になった。 名分を失うことは、この時代では武力を失うより重い。
戦火で京都の街が焼けた。 「どんどん焼け」と呼ばれ、 二万数千戸が失われたとされる。
長州はこの後、幕府の征討軍を受け、 藩内では保守派が主導権を握って恭順する。 一度潰れかけたところから、 高杉晋作の挙兵で討幕へ転じることになる。