概要
マドハヴァが、円周率と、正弦と余弦と逆正接を、無限に続く項の和で表した。「マドハヴァ・ライプニッツ級数」(π/4=1−1/3+1/5−…)は、ライプニッツより270年早い。誤差の補正項まで作った。微積分の入り口に立っていた。写本はサンスクリットの詩の形で、南インドの外に出なかった。ヨーロッパに伝わったかどうかは、いまも研究されている。
場所
10.34°N 76.21°E · インド・ケーララ州
関わった人(1)
マドハヴァAD1340年頃–AD1425年頃 · 見つけた本文
南インド、ケーララ。西ガーツ山脈と海の間の、細長い土地。14世紀から16世紀、ここで、数学の学派が続いた。
サンガマグラーマ(いまのイリンジャーラクダ)のマドハヴァ(1340年頃〜1425年頃)が始まりとされる。彼自身の著作は、ほとんど失われた。弟子と、弟子の弟子の書物に、「マドハヴァはこう言った」という形で引用されている。
見つけたもの。
正弦の級数。sin x = x − x³/3! + x⁵/5! − x⁷/7! + … 余弦の級数。cos x = 1 − x²/2! + x⁴/4! − … 逆正接の級数。arctan x = x − x³/3 + x⁵/5 − … そして、そこに x=1 を入れた、円周率の級数。π/4 = 1 − 1/3 + 1/5 − 1/7 + …
ヨーロッパでは、ニュートン(1669年)、グレゴリー(1671年)、ライプニッツ(1673年)が、別々に見つけた。マドハヴァは、その250〜270年前。
さらに。この級数は収束が遅い(πを小数2桁まで出すのに数百項要る)。マドハヴァは、途中で打ち切ったときの誤差を補正する項を作った。3つの異なる補正項を示していて、精度が上がっていく。それを使って、πを11桁まで求めた(3.14159265359)。彼の詩の形の記述では、数を音節に置き換える方式で書かれている。
級数を導く方法は、区間を細かく分けて足し合わせ、分割を無限に細かくする、というもの。積分の考えに近い。「n乗の和の公式」を、nが大きい場合について、極限を取って求めている。
学派。マドハヴァ → パラメーシュヴァラ(1360〜1455年頃。55年、日食と月食を観測し続けて、計算式を修正した)→ ダーモーダラ → ニーラカンタ・ソーマヤージ(1444〜1544年。『タントラ・サングラハ』。水星と金星が太陽の周りを回る、部分的な太陽中心のモデルを作った。ティコ・ブラーエのモデルに近い)→ ジェーシュタデーヴァ(『ユクティバーシャー』、1530年頃。マラヤーラム語(サンスクリットでなく、地元の言葉)で書かれ、しかも、結果だけでなく、証明(ユクティ=論証)を丁寧に書いた。「世界で最初の微積分の教科書」と呼ぶ人がいる)→ アチュタ・ピシャーラティ。
なぜ広まらなかったか。写本はケーララの外に出なかった。サンスクリットとマラヤーラム語で、詩の形で、師から弟子へ伝えられた。天文計算(暦と占星術)の実用の枠の中にあり、「解析学」という独立した分野にはならなかった。
伝わったか。16世紀、ケーララにイエズス会の宣教師がいた(コーチンとゴア)。マテオ・リッチはインドで暦法について問い合わせている。ケーララの数学がヨーロッパに渡ったという直接の証拠は、まだ見つかっていない。可能性を主張する研究者(ジョージ・ジョーゼフ)と、否定する研究者がいる。
1832年、イギリス東インド会社のチャールズ・ウィッシュが、ケーララの写本を読んで、王立アジア協会に報告した。「ヒンドゥーには、流率法(微積分)に相当するものがあった」。誰も真面目に取り合わなかった。100年以上、忘れられた。1940年代から、インドの数学史家が読み直した。