概要
藤原倫寧の娘。「本朝三美人」と『尊卑分脈』。954年、兼家の妻に。翌年、道綱。兼家の正妻は時姫で、道長の母。夫の足が遠のき、他の女に子が生まれ、鳴滝の寺に籠もり、連れ戻された。『蜻蛉日記』。「あるかなきかの蜻蛉」。歌人としても『拾遺集』に。
関わったできごと(1)
『蜻蛉日記』AD974年(天延2年)頃 · 著者本文
藤原道綱母。 936年頃。 「藤原倫寧の娘。母は源認の娘」。 「『倫寧。受領。陸奥守』」。 「『菅原孝標女(更級日記)の、母の、姉。伯母』」。 「『本朝三美人』。『尊卑分脈』。『あとの二人は、分からない』」。 「954年。兼家」。 「『兼家。26歳。師輔の三男』」。 「『正妻。時姫』」。 「『道綱』」。 「『町の小路の女』」。 「『近江』」。 「『兼家が、来ない』」。 「『私は、怒って、歌を』」。 「『嘆きつつ』。百人一首53番。『右大将道綱母』」。 「『兼家の、返し』。『げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸も遅くあくるはわびしかりけり』」。 「『鳴滝』」。 「『唐崎の祓』」。 「『初瀬』」。 「『石山』」。 「『養女』」。 「974年。『日記の終わり』」。 「『兼家が、来ない。年の暮れ』」。 「『兼家。986年。摂政』」。 「『道綱。大納言。「文字が、読めなかった」。『権記』。「一字も知らない」』」。 「『道長の、異母兄』」。 「『道綱は、道長に、従った』」。 「995年。59歳」。 「『日記は、本当か』」。 「『歌は、本当。彼女の歌が、他の本に』」。 「『事実を、選んで、書いた』」。 「『自分を、哀れに』」。 「『兼家を、悪く』」。 「『「私は、二番目」』」。 「『千年後、女たちが、読む』」。 「『「私も、そうだ」』」。 「『「かげろふ」』」。 「『あるかなきか』」。 「『名前が、ない』」。 「『「道綱の母」』」。 「『それが、女の、名前だった』」。