概要
陳橋で兵に担がれて皇帝になった趙匡胤が、翌年、担いだ将軍たちを酒宴に呼んだ。「あなたたちも、部下に担がれれば」。「土地と屋敷と美女で、余生を」。翌日、全員が辞表を出した。50年の五代で、兵が皇帝を作る時代が、酒で終わった。文治。
場所
34.80°N 114.31°E · 中国・河南省
関わった人(1)
趙匡胤(宋の太祖)AD927年–AD976年 · 皇帝本文
960年正月。 「遼と北漢が、来た」。 「殿前都点検、趙匡胤。北へ」。 「陳橋駅。開封の北20キロ」。 「夜。兵が『天子がいなければ』。趙普。趙匡義」。 「朝。黄袍。眠っていた趙匡胤に、着せた」。 「『私は、天子にならない』。『皇太后と幼帝を、傷つけるな。大臣を辱めるな。府庫を侵すな』」。 「開封へ。柴宗訓。禅譲」。 「『宋』。宋州の節度使だったから」。 961年7月。 「石守信、王審琦、高懐徳、張令鐸。『陳橋で、私を担いだ』」。 「酒」。 「『私は、あなたたちのおかげで、ここにいる。だが、天子は、つらい。私は、夜、眠れない』」。 「『なぜ』」。 「『この座を、誰が、欲しがらないか』」。 「『我々は、そんな』」。 「『あなたたちは、そうでも、部下が。あなたたちに、黄袍を着せたら、断れるか』」。 「『我々は、愚かでした。どうすれば』」。 「『人生は、短い。金を貯め、田と屋敷を買い、歌姫を置いて、酒を飲んで、子孫を』」。 「『私は、あなたたちと、縁組みを』」。 「翌日。全員が、『病気』。辞表」。 「節度使に。兵権なし」。 「『杯酒釈兵権』。『続資治通鑑長編』。李燾。『涑水記聞』。司馬光」。 「本当かどうか」。 「『それに近いことが』」。 「『禁軍を、三つに。殿前司、侍衛馬軍司、侍衛歩軍司。三衙。互いに、牽制』」。 「『枢密院が、兵を動かす。三衙が、兵を持つ。将軍は、兵を、知らない』」。 「『更戍法。兵を、回す。将と兵が、馴れないように』」。 「『文官が、軍を』」。 「『文治』」。 「『重文軽武』」。 「『宋は、弱かった』。遼。西夏。金。モンゴル」。 「『宋は、300年、兵に、倒されなかった』」。 「『唐の藩鎮、五代の武人。それを、酒で』」。 「『趙普。「兵権を奪い、銭穀を制し、精兵を収めよ」』」。 「『太祖誓碑。「言論で、士大夫を殺すな」』」。 「宋の、300年の、文の時代は、一杯の酒から」。 「本当かどうか」。 「そう言われている」。