概要
新羅の王が新しく取った土地を巡って石を建てた。昌寧、北漢山、黄草嶺、磨雲嶺。漢江の流域を百済から奪い、伽耶を滅ぼし、東海岸を北へ。花郎を作り、皇龍寺を建てた。三国統一の百年前に、その形を作った王。
場所
37.57°N 126.98°E · 大韓民国
関わった人(1)
真興王AD526年–AD576年 · 王本文
真興王。540年、7歳で即位。母只召太后が摂政。 551年、百済の聖王と組んで高句麗を攻め、漢江の上流10郡を取った。百済は下流6郡。 553年、その百済の6郡を奪った。新州。 聖王が怒り、554年に管山城を攻めて死んだ。百済と新羅の120年の同盟が終わった。 555年、北漢山に登った。碑。「真興王が北漢山に巡狩して、疆域を定めた」。 561年、昌寧。伽耶を平定した記念。「辛巳年二月一日」。42人の随行者の名と官位。 562年、異斯夫と斯多含が大伽耶を滅ぼした。 568年、黄草嶺と磨雲嶺。咸鏡南道。東海岸を北へ。「朕は歴数の当身に在り、仰いで太祖の基を紹ぎ」。「天恩を承け」。「四方に境を託し、民土を広く獲て」。「隣国と誓信し、和して交わり、使を通じた」。
碑は4つ。北漢山碑は1816年に金正喜が見つけて読んだ。それまで無学大師の碑と思われていた。 昌寧碑は1914年。黄草嶺碑は1852年に拓本で知られ、磨雲嶺碑は1929年。 北漢山碑は1972年に国立中央博物館に移され、山には複製がある。
花郎。真興王が「風月主」を立て、美しい青年を選んで徒を集めた。「山水に遊び、歌舞で楽しむ。邪正を知って賢を選ぶ」。金庾信も官昌も花郎。 皇龍寺。553年から17年。新宮を建てようとして黄龍が現れ、寺に変えた。 574年、丈六の仏像。仏教を国の柱に。 576年、剃髪して法雲を名乗り、死んだ。43歳。 「開国」「大昌」「鴻済」。年号を自分で立てた。中国の年号を使わなかった。 彼が取った漢江で、新羅は中国と直接つながり、100年後に唐と組んで統一した。彼の孫の代。