概要
7歳で王に。母が摂政。百済と組んで高句麗から漢江の上流を取り、次に百済の下流を奪った。聖王が怒って攻めてきて管山城で死んだ。562年、大伽耶を滅ぼした。花郎、皇龍寺、巡狩碑。晩年は剃髪して法雲と名乗った。
所属
新羅関わったできごと(1)
真興王の巡狩碑AD561年 · 王本文
真興王。彡麦宗。 法興王の弟の子。母は法興王の娘。 540年、7歳。只召太后が摂政。 545年、居柒夫に『国史』を編ませた。残っていない。 551年、「開国」と改元。 551年、百済と組んで高句麗を攻め、竹嶺の外、高峴の内、10郡。 553年、百済の下流6郡を取った。新州。金武力が軍主。金庾信の祖父。 554年、聖王。管山城。金武力の部下が聖王を殺した。「三年山郡の高干都刀」。百済は3万を失った。 555年、北漢山碑。 561年、昌寧碑。 562年、大伽耶。異斯夫。斯多含、16歳、花郎。5000騎で城門に入った。 568年、黄草嶺、磨雲嶺。「大昌」。 「四方に境を託し、民土を広く獲て」。 572年、「鴻済」。 576年、剃髪。法雲。死んだ。43歳。 王妃も尼になった。
花郎。「原花」。二人の美女、南毛と俊貞。俊貞が南毛を殺した。廃した。美しい男子を選んで「花郎」。 「歌と舞で楽しみ、山水に遊び、遠くまで行かない所がない。邪正を知り、賢良を選んで朝廷に薦めた」。 金大問『花郎世記』。 皇龍寺。 丈六の仏。574年。銅3万5000斤、金1万分。 新羅の王が仏の名を名乗った。法興、真興、真智、真平。真平王は白浄、釈迦の父の名。王妃は摩耶。善徳女王は「浄飯王の家に生まれた」ことになる。 真興王がその型を作った。 「真興」。真は聖骨。 彼の碑は4つ残り、2つが山にあり、2つが博物館にある。 金正喜が1816年に北漢山碑を読んで、「真興王が来た」と分かった。1250年後。