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Event / できごと

エジソンの白熱電球

Edison's incandescent lamp
AD1879年10月22日
重要度 5

概要

メンローパークの「発明工場」で、炭化した木綿糸のフィラメントが13時間半光った。翌年、京都の八幡の竹で1000時間以上。電球より重要だったのは、発電所と、配電網と、メーターと、スイッチと、料金の仕組みを、まとめて作ったこと。1882年、ニューヨークのパール街発電所。「私は失敗していない。うまくいかない方法を1万通り見つけただけだ」。

場所

メンローパーク
40.55°N -74.33°E · アメリカ・ニュージャージー州

関わった人(1)

トーマス・エジソンAD1847年2月11日–AD1931年10月18日 · 光らせた

本文

白熱電球は、エジソンが最初ではない。1802年、デーヴィーが白金線を光らせた。1840年代から、多くの人が試した。ド・ラ・リュー、ゴボー、ジョゼフ・スワン(イギリス。1878年に炭素棒の電球を公開し、1880年に実用化した。エジソンと訴訟になり、1883年、共同会社を作った)。

問題は3つ。真空(フィラメントが燃え尽きないように)、フィラメントの材料(高抵抗で、長持ちする)、そして、電球より大きな問題——電球を家に灯すための、発電と、配線と、料金の仕組み。

エジソンはガス灯の仕組みを研究した。ガス会社は、ガスを作り、管を引き、各家にメーターを付けて、使った分を売っていた。「同じことを、電気で」。彼が作ろうとしたのは、電球でなく、電気の事業だった。

1878年10月から、メンローパークの研究所で、フィラメントの材料を試した。白金、炭素、ボロン、クロム、そして植物繊維。「私は失敗していない。うまくいかない方法を1万通り見つけただけだ」(後の回想。数字は誇張)。

1879年10月21〜22日、炭化した木綿の縫い糸のフィラメントが、13時間半光った(「40時間」の記録もある。研究所のノートの解釈が分かれる)。12月31日、大晦日、メンローパークを電球で照らして、3000人に見せた。特許223898号(1880年1月27日)。

その後、6000種類の植物を試した。日本の京都の八幡(石清水八幡宮の周りの真竹)が最もよく、1200時間以上光った。1880年から10年、京都の竹が世界の電球に使われた(八幡に「エジソン記念碑」がある)。1894年、セルロースの人造繊維へ。1910年、タングステン(クーリッジ)。

システム。1880年、並列配線(1個消えても他が消えない。当時は直列が普通だった)、高抵抗のフィラメント(電流を減らして、銅線を細くできる。銅は高い)、安全ヒューズ、ソケット、スイッチ、電気メーター、そして発電機(「ジャンボ」)。

1882年9月4日、ニューヨーク、パール街発電所。マンハッタンの1平方キロに、地下の管で直流110ボルトを送った。初日、59軒、電球400個。1年で500軒、1万個。エジソン電灯会社(後のゼネラル・エレクトリック)。

電流戦争。エジソンの直流は電圧を変えられず、1キロ以上送れない。ウェスティングハウスとテスラの交流は、変圧器で高電圧にして遠くへ送り、家の前で下げられる。エジソンは交流の危険を宣伝した(犬と馬と、象トプシーを交流で殺す実演。1890年、交流の電気椅子による最初の死刑に、間接的に関わった)。負けた。1892年、彼の会社は交流のトムソン・ヒューストン社と合併して「ゼネラル・エレクトリック」になり、エジソンの名前が社名から消えた。

メンローパーク。1876年に作った「発明工場」。技師と、機械工と、化学者と、図書室と、工作機械。「10日ごとに小さな発明、半年ごとに大きな発明」。世界で最初の産業研究所。ベル研究所も、GEも、デュポンも、この形を真似た。20世紀の発明は、天才の閃きでなく、組織の仕事になった。

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