概要
オンタリオの農家。神学を志して落第し、医学へ。第一次大戦に軍医として従軍し、負傷して勲章を受けた。開業がうまくいかず、生理学の講義の準備をしていた夜、膵臓の実験の着想を書き留めた。トロント大学のマクラウドに研究室を借り、学生ベストと夏休みに実験した。1923年、32歳でノーベル賞(史上最年少級)。賞金をベストと分けた。1941年、軍務の途中、輸送機がニューファンドランドに墜落して死んだ。
関わったできごと(1)
インスリンの発見AD1922年 · 取り出した本文
1891年11月14日、オンタリオ州アリストン近郊の農場で生まれた。5人兄弟の末子。メソジストの家。
高校の頃、友人が糖尿病で死んだ、と伝えられる(この話の史料的な裏づけは弱い)。
トロント大学に、**神学**を学ぶために入学した。1年で落第した。翌年、医学部に入り直した。
**戦争**。1914年、第一次大戦。医学部の課程が短縮され、彼は1916年に繰り上げ卒業して、その翌日、陸軍に入った。
1918年9月、カンブレーの戦い。榴散弾で右前腕を負傷した。傷が深く、切断を勧められたが、拒んだ。
負傷したまま16時間、他の負傷兵の手当てを続けた。**軍事十字章**を受けた。
**開業の失敗**。1919年に帰国。トロントで小児外科の研修。1920年、オンタリオ州ロンドンで開業した。
患者が来なかった。最初の月の収入は4ドル。彼は、ウェスタン・オンタリオ大学の非常勤講師の職を掛け持ちした。
**1920年10月30日の夜**。
翌日の講義(膵臓と糖代謝)の準備をしていた。読んでいたのは、『外科・婦人科・産科』誌に載ったモーゼス・バロンの論文。膵石で膵管が塞がった症例で、外分泌の腺房が萎縮し、ランゲルハンス島が残っていた。
午前2時。彼はノートに書いた。
「糖尿病。犬の膵管を縛る。腺房が変性するまで、犬を生かしておく。島を取り出し、内分泌を取り出して、糖尿を軽減する」。
(原文には綴りの誤りがある。"Diabetus"、"Ligate pancreatic ducts of dog"。このノートは、いまトロント大学の図書館にある。)
**トロント**。1920年11月7日、彼はトロント大学の生理学教授**J・J・R・マクラウド**を訪ねた。
マクラウドは炭水化物代謝の権威で、この分野で同様の試みが何度も失敗していることを知っていた。バンティングは29歳で、研究の経験がなく、文献も十分に読んでいなかった。
マクラウドは断らなかった。夏の間、空く実験室と、犬10匹と、助手1人を貸すことにした。
助手は、生化学を専攻する学部生**チャールズ・ベスト**(22歳)と**クラーク・ノーブル**の二人が候補で、コイン投げでベストが先に入ることになった、と伝えられる(後に交代する予定だったが、ベストがそのまま残った)。
**1921年の夏**。マクラウドはスコットランドへ休暇に出た。
屋根裏の実験室。暑い。バンティングは車を売って生活費にした。手術の技術は粗く、多くの犬が麻酔と感染で死んだ。彼らは街から野良犬を買ってきた(1匹1〜3ドル)。
7月30日、膵臓を全摘して糖尿病にした犬「410号」に、変性させた膵臓の抽出液を注射した。血糖が下がった。
8月、犬「33号」(マージョリー)が、抽出液の連日投与で70日生きた。
**精製**。抽出液は不純物が多く、注射部位に膿瘍を作った。
12月、生化学者**ジェームズ・コリップ**が加わった。彼はアルコールの濃度を段階的に変えて、有効成分だけを取り出す方法を確立した。
**1922年1月11日**、トロント総合病院。**レナード・トンプソン**、14歳、体重29kg。バンティングとベストの抽出液を注射。効果は弱く、膿瘍ができた。
1月23日、コリップの精製品を注射。血糖が下がり、尿糖が消えた。
**ノーベル賞**。1923年10月、バンティングと**マクラウド**に授与された。
バンティングは激怒した。ベストが含まれていなかったからである。彼は受賞を辞退しようとし、思いとどまり、賞金の半分をベストに分けた。マクラウドは、自分の半分をコリップに分けた。
バンティング32歳。生理学・医学賞の最年少受賞者である(現在も)。
**特許**。バンティング、ベスト、コリップは、特許をトロント大学に1ドルで譲渡した。バンティングは自分の名を特許に入れることさえ拒んだ(「医師が薬に特許を持つのは倫理に反する」)。最終的に、彼の名も加えられた。
大学が特許を持つことで、粗悪な模造品を防ぎ、製造の品質を管理できた。イーライ・リリー社が生産の技術を開発した。
**その後**。バンティングは、トロント大学に彼のための研究職(バンティング・アンド・ベスト医学研究部)が設けられ、以後、癌、珪肺、副腎皮質、そして航空医学(対Gスーツの開発)を研究した。1934年、ナイト。
彼は絵を描いた。カナダの画家グループ「グループ・オブ・セブン」のA・Y・ジャクソンと親しく、一緒に北方へスケッチ旅行に出た。
**1941年2月21日**。第二次大戦。彼は軍の医学研究の連絡のためイギリスへ向かう途中、ニューファンドランドのガンダーを発ったハドソン爆撃機が、両エンジンの故障で墜落した。
彼は事故直後は生きていたが、翌日に死んだ。49歳。
2021年、インスリン発見から100年。世界の糖尿病患者は5億人を超え、そして、インスリンを買えない人が、なお多く存在している。