概要
ニザーミーヤ学院の教授が、イブン・シーナーの哲学を20の点で「矛盾」と論じ、3点で「不信仰」と裁いた。世界の永遠、神の個物の認識、肉体の復活。その年、教授を辞めて、10年放浪した。「私は言葉で信じていて、心で信じていなかった」。『宗教諸学の再興』。イスラームの神学は、それから哲学より神秘を選んだ。
場所
33.32°N 44.37°E · イラク
関わった人(1)
ガザーリーAD1058年–AD1111年12月19日 · 著者本文
アブー・ハーミド・ガザーリーは1091年、33歳で、バグダードのニザーミーヤ学院の教授になった。ニザームルムルクが建てた最高の学院。スンナ派の神学の中心。300人の学生。
1095年、『哲学者の矛盾(タハーフト・アル・ファラーシファ)』を書いた。哲学者とはアリストテレスの系統、アル・ファーラービーとイブン・シーナー。ガザーリーはまず『哲学者の意図』で、彼らの哲学を彼らより上手に説明してみせた(この本はラテン語に訳され、ヨーロッパではガザーリーは長くアリストテレス主義者だと思われていた)。それから、20の点で論駁した。
世界は永遠か。哲学者は永遠と言う。神が創造したなら、なぜその時に、その前でなくその時に創造したのか、と哲学者は問う。ガザーリーは、神の意志はそれ自体で選べる、と答える。神は個物を知るか。哲学者は普遍しか知らないと言う。ガザーリーは、それは神ではない、と言う。肉体の復活はあるか。哲学者は魂だけと言う。
この3点は不信仰(クフル)で、残りの17は逸脱(ビドア)だとした。
17番目の論点で、ガザーリーは因果を問うた。火が綿を焼くのは、火に焼く力があるからではなく、神がそのたびにそう定めるからだ。習慣。火と綿の隣接と燃焼の間に、必然はない。ヒュームの600年前。
同じ年、ガザーリーは崩れた。「舌が動かなくなった。教えることができなくなった」。自分は名声のために教えていて、信じていなかった。教授を辞め、メッカ巡礼と言って出て、ダマスクスの大モスクの尖塔に籠もり、エルサレムの岩のドームで祈り、10年帰らなかった。スーフィー。『宗教諸学の再興』40巻。『誤りから救うもの』は自伝。
100年後、コルドバのイブン・ルシュド(アヴェロエス)が『矛盾の矛盾』で反論した。イスラームの主流はガザーリーを選んだ。ヨーロッパはイブン・ルシュドを選んだ。