概要
世宗が28字の文字を作って公布した。序文。「国の語音、中国と異なり、文字と互いに通ぜず。ゆえに愚民、言わんと欲する所あれども、ついにその情を伸べ得ざる者多し。予、これを憐れみて、新たに二十八字を制る。人々をして易く習い、日々の用に便ならしめんと欲するのみ」。子音は発音するときの口と舌の形をかたどり、母音は天と地と人。両班は「漢字を捨てるのか」と反対した。
場所
37.57°N 126.98°E · 大韓民国
関わった人(1)
世宗AD1397年5月15日–AD1450年4月8日 · 作った本文
朝鮮は、漢字を使ってきた。しかし、朝鮮語と中国語は、語順も、文法も、音も違う。漢字で朝鮮語を書くために、吏読と郷札という工夫があったが、複雑で、限られた人しか使えなかった。
人口の大半は、文字を持たなかった。訴訟の書類も、法の告示も、農書も、読めない。
世宗(1397〜1450年、在位1418〜50年)。太宗の三男。長兄が廃されて、王になった。集賢殿(学問の府)を作り、学者を集め、農書と医書と天文と暦を作らせた(『農事直説』『郷薬集成方』、渾天儀、自撃漏=水時計、測雨器=1441年、世界最初の雨量計)。
文字。1443年12月(陰暦)、『実録』に短く記される。「この月、上、親ら諺文二十八字を制る。……これを訓民正音と謂う」。
「親ら(自ら)」。世宗が一人で作った、と記録は言う。集賢殿の学者たちが作った、あるいは補助したという説もあるが、実録の記述と、当時、反対した学者がいたことから、王が主導したと考えられている。彼は当時、目を病んでいた(糖尿病の合併症とされる)。
1446年、『訓民正音』(解例本)が刊行された。9月上旬(陰暦)。韓国では10月9日を「ハングルの日」としている(北朝鮮は1月15日=1443年の制定の月から)。
序文(世宗自身の文)。
「国之語音、異乎中國、與文字不相流通。故愚民有所欲言、而終不得伸其情者多矣。予爲此憫然、新制二十八字、欲使人人易習、便於日用耳」。
(国の言葉の音は中国と異なり、漢字と互いに通じない。だから、愚かな民は、言いたいことがあっても、ついにその心を述べられない者が多い。私はこれを憐れんで、新しく28字を作った。人々が易しく学び、日々の用に便利であるようにと思うだけである。)
原理。『解例』が、作り方を説明している。文字の作り方の説明が残っている文字は、世界で他にほとんどない。
子音(初声)。基本の5字が、発音するときの器官の形をかたどる。ㄱ(牙音)は舌の根が喉を塞ぐ形。ㄴ(舌音)は舌が上の歯茎につく形。ㅁ(唇音)は口の形。ㅅ(歯音)は歯の形。ㅇ(喉音)は喉の形。そこに画を足して、音の強さを表す(ㄴ→ㄷ→ㅌ)。
母音(中声)。3つの要素の組み合わせ。ㆍ(天。丸い点)、ㅡ(地。平らな線)、ㅣ(人。立つ線)。点を線の上下左右に置いて、ㅗ ㅏ ㅜ ㅓ を作る。
組み方。子音と母音を、四角い一つの音節の塊に組む。漢字と並べて書ける。
反対。1444年、集賢殿の副提学・崔萬理らが上疏した。「わが朝は、祖宗以来、中国の制度に従い、同文同軌である。いま、別に諺文を作れば、中国に対して恥ずべきことである。……蒙古、西夏、女真、日本、西蕃の類が、それぞれ自分の文字を持っているが、それは皆、夷狄のことである」。
世宗は彼らを一時、投獄した(翌日、釈放した)。
普及。すぐには広まらなかった。両班は漢文を使い続け、ハングルは「諺文(俗な文字)」「암클(女文字)」と呼ばれた。使ったのは、女性、庶民、そして仏教の書物(『釈譜詳節』『月印千江之曲』は世宗の時代のハングル文献)。
16世紀、小説と歌辞がハングルで書かれ始めた。1894年の甲午改革で、公文書にハングルを使うことが定められた。1896年、『独立新聞』が全部ハングルで発行された。日本統治下で使用が制限され、1945年以後、南北ともに国字になった(北朝鮮は漢字を廃止、韓国は併用から漢字使用が減っていった)。
言語学者からの評価。ジェフリー・サンプソン(1985年)が「素性文字(フィーチュラル)」という分類を、この文字のために立てた。字形が、音の素性(調音の位置と方法)を表しているから。他に例がない。