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Event / できごと

グイードの記譜法

Guido of Arezzo's notation
AD1025年頃
年に諸説あり重要度 5

概要

アレッツォのベネディクト会士が、聖歌を覚えるのに10年かかる修道士のために、線の上に音符を置いた。4本の線(赤いF、黄色いC)。音の高さが、線と間で分かる。「ウト・レ・ミ・ファ・ソ・ラ」(聖ヨハネ賛歌の各行の最初の音節から)。「グイードの手」(指の関節で音を覚える)。教皇ヨハネス19世が呼んで、自分で聖歌を歌えた。音楽が、耳から目へ。楽譜。

場所

アレッツォ
43.46°N 11.88°E · イタリア

関わった人(1)

グイード・ダレッツォAD991年頃–AD1033年頃 · 考えた

本文

グレゴリオ聖歌。8〜9世紀、ローマの聖歌とガリアの聖歌が、カロリング朝の下で混ざって標準化された(「グレゴリウス1世が作った」は伝説。鳩が耳に吹き込む絵)。数千の旋律。全部、暗記。修道士は10年かけて覚えた。

ネウマ。9世紀から、歌詞の上に、旋律の動きを示す記号(上がる、下がる、揺れる)。「思い出させる」ためのもので、知らない旋律は読めなかった。高さが分からない。

グイード。ポンポーザ(フェラーラの東の修道院)で、修道士ミカエルと、新しい方法で教えた。修道士たちが、これまでの何分の一かの時間で歌えるようになった。同僚が嫌がった(覚えるのが早いと、教師の価値が減る)。1025年頃、出た。アレッツォへ。司教テオダルドゥスが大聖堂の聖歌隊の教師にした。

『ミクロログス』(1026年頃)。中世で最も広く写された音楽の本。音階、旋法、旋律の作り方、オルガヌム(2声)、そして記譜。

線。赤い線(F)と黄色い線(C)。半音の位置が分かる。線の上と線の間に音符を置く。4本の線(後に5本)。音の高さが目で見える。「私の方法で、知的な少年は1か月で、これまで見たことのない旋律を、間違いなく歌える。以前は10年かけても、簡単な交唱を覚えられなかった」(『修道士ミカエルへの書簡』)。

ソルミゼーション。聖ヨハネ賛歌の6行が、それぞれC・D・E・F・G・Aで始まる。「Ut queant laxis / REsonare fibris / MIra gestorum / FAmuli tuorum / SOLve polluti / LAbii reatum / Sancte Iohannes」。ウト、レ、ミ、ファ、ソ、ラ。6音(ヘクサコルド)を、3か所から始めて重ねて、全音域を歌う。17世紀、ウトはドに(歌いやすいので)、シが足された(Sancte Iohannes の頭文字)。

「グイードの手」。左手の指の関節と先に19の音を割り当てる。教師が指を指し、生徒が歌う。中世の教室の道具(グイード自身の著作にこの図はなく、後の人が彼の名で作った)。

1028年頃、ローマ。教皇ヨハネス19世が、彼の交唱集の噂を聞いて三度、使者を送った。教皇は本を珍しいもののように眺め、規則を聞いて、自分で、見たことのない交唱を歌ってみた。歌えた。「彼は、私が他の人に言われても信じなかったであろうことを、自分で確かめた」。ローマの夏の空気(マラリア)が体に合わず、冬に戻ると約束して去った。

楽譜は、音楽を、時間と場所から離した。聞いたことのない曲を歌える。死んだ人の曲を歌える。複雑な多声が、書けるので、作れる。作曲家(曲を作って書く人)と演奏家が分かれた。ヨーロッパの音楽が他の文明の音楽と分かれたのはこの点だ、と言う人がいる。

12世紀に四角い音符、13世紀に音の長さの記譜、14世紀にアルス・ノヴァ、1501年に楽譜の印刷(ペトルッチ)、17世紀にいまの5線と小節線。

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