金官伽耶の建国(伝承)
概要
亀旨峰に天から金の箱が降り、6つの卵から6人の王が生まれ、最初の首露が金官国の王になった。インドの阿踰陀から来た許黄玉を妃にした。伽耶は鉄で栄え、倭と交易し、562年に新羅に併合された。金海の金氏は首露の子孫を名乗る。
場所
35.23°N 128.88°E · 韓国・慶尚南道
関わった人(1)
首露王?–AD199年(伝承) · 建国本文
朝鮮半島の南の端、洛東江が海へ注ぐ河口のあたりに、いまの韓国の金海市がある。この地には、古代、金官伽耶と呼ばれる国があった。その始まりは、高麗の時代、11世紀の後半に金官の地方官が書いたとされる『駕洛国記』に語られている。原本は失われたが、13世紀の僧一然の『三国遺事』が、その要約を伝えている。
伝説によれば、紀元42年の3月、川で身を清める禊の日に、この地の9人の村の長たちが、北の亀旨という峰に集まっていた。すると峰から、姿の見えない者の声がした。ここに人はいるか。ここはどこか。天が私に、ここに国を建てて王になれと命じた。峰の頂の土を掘りながら、亀よ亀よ、首を出せ、出さねば焼いて食べてしまうぞ、と歌い踊れ、それが大王を迎えることになる、と。人々がそのとおりにすると、天から紫の縄が垂れ、その先に赤い布に包まれた金の箱があった。開けると、太陽のように丸い金の卵が6つ入っていた。

卵はやがて6人の男の子になり、またたく間に大人の背丈に育った。最初に現れた子が首露と名づけられ、金官伽耶の王になった。首露王である。残る5人も、それぞれ伽耶の5つの国の王になったという。伽耶が一つの国ではなく、いくつもの小さな国の集まりだったことを、伝説はそのまま語っている。天から降りた者が王になる話は、新羅の建国(伝承)の卵の話や、日本の天孫降臨の話とも通じ合う。
伝説は続く。紀元48年、海の向こうから赤い帆の船がやって来た。乗っていたのは、阿踰陀国の王女、許黄玉と名乗る16歳の娘だった。父母の夢に天の神が現れ、駕洛の王首露に娘を嫁がせよと告げたので来たのだという。首露は彼女を妃に迎えた。阿踰陀は、インドのアヨーディヤのことだとする説がある。妃が航海の波を鎮めるために船に積んできたと伝えられる石の塔が、いまも金海に残っている。首露は百五十歳を超えて生きたと伝えられる。むろん、これらは後の時代に整えられた伝承で、どこまでが史実かは分からない。
確かな記録の中の金官伽耶の姿は、むしろ中国の史書に現れる。3世紀の陳寿『三国志』の東夷伝は、朝鮮半島南部の弁辰(弁韓)の地について、この国は鉄を産し、韓や濊や倭の人々がみなここから鉄を手に入れている、と書く。同じ書の倭人伝は、帯方郡から倭へ向かう道筋の最初の寄港地として、狗邪韓国の名を挙げている。これが金官伽耶の前身と考えられている。卑弥呼の使い(卑弥呼の遣使)も、この海の道を通ったはずである。
金官伽耶は、鉄で栄えた。金海の大成洞の古墳群からは、鉄の延べ板、鉄の鎧や兜、馬具、そして倭から運ばれた品々が見つかっている。鉄は、武器や農具の材料であり、貨幣のようにも使われた。倭の人々にとって、伽耶は鉄の供給地であり、大陸の進んだ技術の入口だった。日本列島の古墳時代の鉄器や、硬く焼き締めた土器の技術には、伽耶から来たものが多いと考えられている。
しかし4世紀の終わりから、伽耶をめぐる情勢は厳しくなる。北の高句麗、西の百済、東の新羅が勢力を広げ、倭も海を越えて兵を送った。好太王碑には、400年に高句麗の軍が倭の兵を追って任那加羅に至ったと刻まれている。この戦いで金官伽耶は大きな打撃を受け、伽耶の中心は内陸の大伽耶(高霊)へ移っていったと考えられている。
532年、金官伽耶の最後の王、仇衡王は、新羅に国を差し出して降った。新羅は王族を手厚く迎え、その子孫は新羅の貴族として生き残った。仇衡王の曽孫が、のちに新羅による朝鮮半島の統一(新羅の朝鮮半島統一)を支えた名将金庾信である。残る伽耶の国々も、562年に大伽耶が新羅に滅ぼされて、すべて姿を消した。伽耶は最後まで一つの国にまとまらず、大国のあいだで消えていった。
日本の『日本書紀』は、この地域を任那と呼び、倭の朝廷が任那日本府を置いて支配していたかのように書いた。近代の日本では、これが朝鮮半島への支配を正当化する根拠にも使われた。韓国の学界はこれを強く否定し、日本の学界でも現在では、倭が伽耶を支配したという見方は退けられ、倭から送られた使節や交易の拠点のようなものだったとする考えが多い。何が実態だったのかは、なお議論が続いている。伽耶自身は史書を残さず、その姿は周りの国の記録と発掘からしか分からない。
伽耶の名は、いまの韓国の人々の中に生きている。首露を祖とする金海の金氏は、韓国で最も人数の多い一族で、400万人を超える。許黄玉の子孫を名乗る金海の許氏もいる。2001年にはインドのアヨーディヤに許黄玉の記念碑が建てられ、2018年には韓国の大統領夫人が当地の記念公園の起工式に出席した。2000年近く前の伝説が、いまの国と国のつながりを語る言葉として使われている。