概要
ティベリウスがカプリに引きこもり、近衛長官が9年ローマを持った。皇帝の息子を毒殺し、その妻と通じ、次の皇帝の座を求めた。ティベリウスは長い手紙を元老院で読ませ、最後に「逮捕せよ」。その日に絞殺され、子供も殺され、遺体は3日テヴェレに引きずられた。
場所
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
本文
ルキウス・アエリウス・セイヤヌスは騎士身分の出で、ティベリウスの近衛長官だった。近衛兵はそれまでローマの各所に分散していたのを、セイヤヌスが一つの兵営にまとめた。9000人。皇帝は、それを守る兵を一人の男に預けた。
23年、ティベリウスの息子ドルススが死んだ。のちに、セイヤヌスがドルススの妻リウィッラと通じて毒殺した、と分かった。26年、ティベリウスはカプリ島に引きこもり、二度とローマに戻らなかった。手紙はセイヤヌスを通った。セイヤヌスは「私の労苦の伴侶」と皇帝に呼ばれ、ローマに彼の像が立ち、元老院は彼の誕生日を祝った。ゲルマニクスの妻アグリッピナとその息子二人を、反逆罪で流刑にし、餓死させた。
31年、セイヤヌスはティベリウスと並んで執政官になった。リウィッラとの結婚が許された。次の皇帝は自分だと思った。
ティベリウスは疑い始めていた。何がきっかけかは分からない。アントニア(ゲルマニクスの母)の手紙だと言う。10月18日、ティベリウスの長い手紙が元老院で読まれた。取り留めのない話が続き、セイヤヌスは新しい栄誉を期待して聞いていた。手紙の最後で、皇帝はセイヤヌスの逮捕を求めた。
その日のうちに絞殺された。遺体はゲモニアエの階段に投げられ、群衆が3日引きずり、テヴェレに捨てた。像は倒された。息子と娘も殺された。娘は処女だったので、処刑の前に刑吏に犯された。処女を処刑する法がなかったから。リウィッラは母に閉じ込められて餓死した。
ティベリウスはそれから6年、カプリを出ずに死んだ。