できごと

フロンの発明

The invention of Freon
AD1930年
重要度 5
大英帝国カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国デンマークメキシコDominion of NewfoundlandニカラグアホンジュラスキューバグアテマラAD1930年デイトン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1930年の版図を描いています(11勢力)。

概要

当時の冷媒はアンモニア、塩化メチル、二酸化硫黄である。漏れれば人が死ぬ。家庭用の冷蔵庫の事故が続き、代わりが求められた。ゼネラルモーターズのトマス・ミジリーが、本人の回想では三日で、ジクロロジフルオロメタンに行き着いた。無毒、不燃、無臭。彼は学会で吸い込んで蝋燭を吹き消してみせた。冷蔵庫が家庭に入り、エアコンが普及した。そして四十年後、この物質が成層圏でオゾンを壊すことが分かる。同じ人物が、有鉛ガソリンも世に出している。

場所

デイトン
39.76°N -84.19°E · アメリカ・オハイオ州

関わった人(1)

トマス・ミジリーAD1889年5月18日–AD1944年11月2日 · 作った

本文

1920年代のアメリカでは、電気で冷やす家庭用の冷蔵庫が広まり始めていた。それまでの家庭は、氷屋が運んでくる天然の氷や製氷工場の氷で食べ物を冷やしていた(天然氷の交易、製氷機)。機械の冷蔵庫は便利だったが、中を循環させる冷媒が危険だった。使われていたのはアンモニア、二酸化硫黄、塩化メチルといった物質で、どれも毒性があり、燃えるものもあった。配管から漏れれば、人が中毒を起こす。とくに塩化メチルはほとんど臭いがなく、漏れても気づきにくかった。家庭で冷媒が漏れて人が亡くなったという報道が続いた。1929年にはオハイオ州クリーヴランドの病院で、保管していたフィルムが燃えて有毒なガスが発生し、百人を超える人が亡くなる惨事も起きた。冷蔵庫とは別の原因だったが、建物の中の毒ガスへの恐れが社会に広がった。

冷蔵庫の大手フリジデアを傘下に持つゼネラルモーターズは、安全な冷媒を探すよう、研究者のトマス・ミジリーに命じた。条件は、冷やすのにちょうどよい温度で沸騰すること、毒がないこと、燃えないこと、分解しにくく安定していること、そして安いこと。ミジリーは、アルバート・ヘン、ロバート・マクネアリーとともに探索を始めた。

ジクロロジフルオロメタン(フロン12)の分子構造式
ジクロロジフルオロメタン(フロン12)の分子構造式Wikimedia Commons Edgar181 · Public domain

ミジリーは後に、答えは三日で見つかったと語っている。実際には、探索はもっと長くかかったと考えられているが、探し方が系統的だったことは確かである。彼らは周期表を眺め、沸点と安定性と毒性の傾向から、条件を満たす化合物がありそうな場所を絞り込んだ。行き着いたのがフッ素だった。当時、フッ素の化合物は猛毒と考えられていた。たしかにフッ化水素はきわめて危険である。しかし、炭素とがっちり結びついたフッ素は、まるで違う性質を示す。こうして選ばれたのが、炭素一つに塩素二つとフッ素二つが付いたジクロロジフルオロメタンで、のちにフレオンという商品名で知られるようになる。日本ではフロンと呼ばれる物質の一つである。

1930年4月、アメリカ化学会の大会で、ミジリーは聴衆の前でこの気体を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出して、火のついたろうそくを吹き消してみせた。吸っても平気なほど毒がなく、火を消すほど燃えない。二つの性質を一度に見せる、劇的な実演だった。

ジクロロジフルオロメタン(フロン12)の3D分子模型
ジクロロジフルオロメタン(フロン12)の3D分子模型Wikimedia Commons Public domain

1930年代の初めから、ゼネラルモーターズと化学会社デュポンが共同で作った会社がこの物質の生産を始めた。冷蔵庫は安全な家電として家庭に入っていき、アメリカで冷蔵庫を持つ家庭は、1930年の一割に満たない割合から、1950年代には大多数にまで増えた。フロンは冷房にも使われた(空気を調える)。安全で小型の空調装置が家庭や事務所に広がり、夏の暑さが厳しいアメリカ南部や西部の都市に人が移り住むようになった(冷房が変えた人口)。安定していて毒がなく、ほとんど何とも反応しないフロンは、やがてスプレー缶の噴射剤、断熱材を膨らませる発泡剤、電子部品の洗浄剤など、あらゆる用途に使われるようになった。

ミジリーはこのほかにも、自動車のエンジンが異常な燃焼でノッキングを起こすのを防ぐため、ガソリンに鉛の化合物を加える方法を世に出していた。有鉛ガソリンもまた世界中に広がり、のちに大気を鉛で汚したことが明らかになる。二十世紀の環境に最も大きな影響を与えた二つの物質を、一人の研究者が世に出したことになる。ミジリー本人は1940年、ポリオにかかって体が不自由になり、ベッドから自分を起こすための滑車と綱の仕掛けを考案したが、1944年、その綱が首に絡んで亡くなった。

大気中のフロン12濃度の変遷
大気中のフロン12濃度の変遷Wikimedia Commons Plumbago at English Wikipedia · CC BY 2.5

フロンの物語の後半は、四十年あまり後に始まる。1974年、カリフォルニア大学アーヴァインの化学者F・シャーウッド・ローランドと、その研究室にいたマリオ・モリーナが、科学誌『ネイチャー』に論文を発表した。フロンはきわめて安定しているので、地表に近い大気ではほとんど分解しない。分解しないまま、何年もかけて成層圏まで上っていく。成層圏では太陽の強い紫外線を浴びて、ついに分解し、塩素の原子を放つ。その塩素が、生き物を紫外線から守っているオゾンを壊す。しかも塩素は反応のたびに元に戻り、一つの塩素原子が何万ものオゾン分子を次々に壊していく。フロンのいちばんの長所だった安定性が、そのまま問題の原因だった。

この警告に、フロンを作る業界は激しく反発し、根拠のない憶測だと攻撃した。ローランドはしばらくのあいだ、業界の会合に講演者として呼ばれなくなったという。だが1985年、南極で観測を続けていたイギリスの研究者たちが、春になると南極の上空のオゾンが大きく減っていることを報告した(オゾンホールの発見)。オゾン層に穴が開いたように見えることから、オゾンホールと呼ばれた。減り方は予測よりはるかに大きく、極域の成層圏にできる雲の表面での反応という、それまで考えられていなかった仕組みが関わっていることが、その後の研究で分かった。

大気中のフロン12(CFC-12)の世界平均濃度の推移
大気中のフロン12(CFC-12)の世界平均濃度の推移Wikimedia Commons NOAA/ESRL HATS group · Public domain

世界の対応は、環境問題としては異例の速さだった。1987年9月、フロンなどの生産を段階的に減らすモントリオール議定書が採択され、のちに国際連合のすべての加盟国が批准した。国際的な環境条約のなかでもっとも成功した例といわれる。フロンの代わりには、塩素の少ない物質、さらに塩素を含まない物質が使われるようになったが、塩素を含まない代替フロンの多くは、二酸化炭素の数百倍から一万倍以上の温室効果を持つ。2016年には、その代替フロンも削減の対象に加えられた。

1995年、ローランドとモリーナは、大気化学の研究者パウル・クルッツェンとともにノーベル化学賞を受けた。南極のオゾン層は、2000年代から回復の兆しを見せ、今世紀の半ばから後半には1980年ごろの水準に戻ると予測されている。もっとも、2018年には禁止されたはずのフロンの一種が東アジアで新たに作られていたことが観測から突き止められ、取り締まりで止まったとされるなど、回復は約束されたものではない。冷蔵庫を安全にするために選ばれた理想の物質は、地球規模の害を与えうることを人類に初めて教えた物質にもなった。

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