ケージ『4分33秒』
概要
デイヴィッド・チュードアがピアノの前に座り、蓋を閉じ、三つの楽章のあいだ何も弾かなかった。楽譜には TACET とだけ書かれている。無音の曲ではない。ケージはハーバードの無響室で、自分の神経系と血流の音を聞いた。完全な沈黙は無いと考えた。聞こえてくるものが曲になる。屋根を打つ雨と、退席する客の足音が、その日の演奏だった。
場所
42.04°N -74.12°E · アメリカ・ニューヨーク州
関わった人(1)
ジョン・ケージAD1912年9月5日–AD1992年8月12日 · 作曲本文
1952年8月29日、ニューヨーク州ウッドストックのマーヴェリック・コンサート・ホールで、現代音楽の演奏会が開かれた。ホールといっても森の中に建つ木造の小屋で、壁の一部が開いていて、外の音がそのまま中へ入ってくる。客の多くは、新しい音楽を聴きに来た人々だった。その夜の曲目の一つが、ジョン・ケージの新作だった。
ピアニストのデイヴィッド・チュードアが舞台に現れ、ピアノの前に座った。鍵盤の蓋を閉じ、ストップウォッチを置き、そして何も弾かなかった。楽章の区切りが来ると蓋を開け、また閉じる。第一楽章は30秒、第二楽章は2分23秒、第三楽章は1分40秒。合わせて4分33秒がたつと、チュードアは立ち上がって礼をした。

楽譜には、各楽章に「タチェット」とだけ書かれていた。ラテン語で「黙っている」という意味で、オーケストラの楽譜で、ある楽器に出番の無い楽章を示すのに使う、ごく普通の指示語である。のちに出版された楽譜には、この曲はどんな楽器や楽器の組み合わせで演奏してもよく、長さも自由だ、という趣旨の注が添えられた。4分33秒は、初演のときの長さにすぎない。楽章の長さは、偶然の操作で決めたとケージは説明している。
客席の反応は、怒りだった。多くの客が途中で席を立ち、終演後の話し合いでは、地元の芸術家が立ち上がって、こんな連中はこの町から追い出そうと言ったと伝えられる。のちにケージは、聴衆は要点を取り逃がしたのだと振り返っている。沈黙だと彼らが思ったものは、偶然の音に満ちていた。第一楽章では外で風が吹き、第二楽章では雨粒が屋根を打ち始め、第三楽章では聴衆自身が、ささやいたり出て行ったりしながら、さまざまな音を立てていた、というのである。

この曲に至るまでには、いくつかの道筋があった。一つは、1951年にハーヴァード大学の無響室に入った体験である。壁も床も天井も音を吸い込む部屋で(部屋の響きを測る研究の延長に生まれた部屋である。残響を測る)、ケージは完全な静けさを期待した。ところが、高い音と低い音が聞こえた。技師に尋ねると、高い音は神経系が働く音、低い音は血液が流れる音だと言われたという。この説明が生理学的に正確かどうかには疑問もある。だがケージにとって、結論ははっきりしていた。生きているかぎり、音はある。完全な沈黙というものは無い。
二つ目は、友人の画家ロバート・ラウシェンバーグが同じ1951年に発表した、何も描かれていない白い絵である。何も無いのではない。そこにはほこりが落ち、光と影が移ろい、見る人の影が映る。ケージはこれに背中を押されたと語っている。三つ目は禅である。ケージは1950年前後、ニューヨークのコロンビア大学で鈴木大拙の講義を聴き、作曲家が自分の好みで音を選ぶこと自体を手放そうと考えるようになった。1951年からは、中国の古い占いの書『易経』の手続きを使い、コインを投げて音の高さや長さを決める方法で作曲を始める。自分の趣味と記憶から音を解き放つためだった。

さらにさかのぼって1948年、ケージはある講演で、四分半ほどの切れ目のない沈黙の曲を作って、店や工場に音楽を流す会社に売り込みたい、と冗談めかして語っている。誰にも聴かれないまま流れ続ける音楽への、皮肉である。構想は数年がかりで形になったことになる。
『4分33秒』は、音楽とは何かという問いをひっくり返した。音楽とは、作曲家が音を並べたものではなく、ある時間に「音楽として聴く」という枠を置くことかもしれない。枠の中に何が入るかは、その場が決める。意図された音と意図されない音のうち、後者を締め出すのをやめる。聴衆は、聴くと同時に音を立てる演奏者にもなる。同じ頃、美術の世界では、マルセル・デュシャンが既製品の便器を作品として出品して以来の、何が芸術かを問う試みが続いていた。ケージの曲は、その問いを音楽に持ち込んだものとも言える。

批判も絶えなかった。これは音楽ではない、という反応がいちばん多い。一度やれば十分な、思いつきの作品だという声もある。作曲家の好みを消すと言いながら、枠を作ったのはほかならぬケージ自身ではないか、という指摘もあり、ケージはそれに正面からは答えなかった。
それでも、この曲は演奏され続けている。初演のピアニスト、デイヴィッド・チュードアは、ケージの最も近い協力者で、その後も長くケージの難しい曲を弾き続けた。ケージ自身は晩年まで、この曲を自分の最も大切な作品だと語っていた。何も弾かない曲を書いたことで、その後のケージの仕事はすべて、まわりの音にどう耳を開くかという問いをめぐって回ることになったからである。1962年には、演奏者が決められた日常の動作をするだけの『0分00秒』という続編めいた作品も書いている。2004年には、イギリスの公共放送のオーケストラが全曲を演奏してラジオで放送した。無音が続くと自動的に予備の音声に切り替わる放送事故防止の装置を、このときは切っておかなければならなかった。2010年のイギリスでは、テレビのオーディション番組の優勝者が毎年クリスマスのヒットチャートの首位を取ることへの抗議として、この曲を首位にしようという運動が起き、録音は21位まで上がった。音を記録して売る仕組み(蓄音機の発明)の上で、沈黙が商品として競われたことになる。

この曲を、ふつうの意味で「聴く」ことはできない。演奏会場で耳を澄ませると、空調のうなり、誰かの咳、椅子のきしみ、外を通る車の音が聞こえてくる。この曲は、それを聴くことそのものである。