人物

ジョン・ケージ

John Cage
AD1912年9月5日 – AD1992年8月12日(享年79)
アメリカ合衆国重要度 4

概要

ロサンゼルスの生まれ。シェーンベルクに学び、和声の才が無いと言われた。打楽器と、ピアノの弦にねじや消しゴムを挟むプリペアド・ピアノで作曲した。鈴木大拙の講義を聴き、易経で音を決める方法に移った。作曲家が選ばないこと、聞こえるものすべてを音楽として聞くことを主張した。菌類の研究家でもあり、イタリアのクイズ番組できのこの知識で賞金を得ている。

所属

アメリカ合衆国

関わったできごと(1)

ケージ『4分33秒』AD1952年8月29日 · 作曲

本文

ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニアは1912年9月5日、ロサンゼルスに生まれた。父は発明家で、ディーゼル機関で走る潜水艦を作ったこともある。ところがその潜水艦は排気の泡を出し、どこにいるかがすぐに分かってしまった。父は、誰かが「できない」と言ったら、それがやるべき方向だと教えた、とケージは書いている。母は新聞にクラブ活動の記事を書いていた。

ジョン・ケージ(1988年)
ジョン・ケージ(1988年)Wikimedia Commons Rob Bogaerts for Anefo · CC0

少年はラジオで自分の番組を始め、高校を総代で卒業した。ところが大学は2年でやめてしまう。図書館で学生たちがみな同じ本を読んでいるのを見て、教育はどこか間違っていると感じたのだという。1930年から1年半、彼はヨーロッパを回り、建築、絵画、詩、音楽に手を伸ばした。パリでは建築家の事務所で働いた。

帰国後、彼は作曲を志し、1935年ごろからロサンゼルスでシェーンベルクに学んだ。ウィーンで十二音技法を生み出し、1933年のナチスの政権掌握のあとドイツを追われてアメリカに来ていた作曲家である。授業料を払えない若者に、シェーンベルクは、生涯を音楽にささげるなら無料で教えると言ったと伝えられる。そして、君には和声の感覚がない、和声は君にとって壁のようなもので、それを越えることはできないだろう、と告げた。ケージは、それならその壁に頭を打ちつけることに生涯をささげます、と答えたという。

ナチスの政権掌握に関わる図版:Hitler as young man
ナチスの政権掌握Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

彼は和声に頼らない音楽を作り始めた。音の高さではなく、時間の長さで曲を組み立てる。1930年代の終わり、シアトルの舞踊学校で伴奏者になると、そこには打楽器がそろっていた。彼は打楽器の合奏のための曲を書き、廃品の金属板やブレーキドラムまで楽器にした。この学校で、のちに生涯の伴侶となる舞踊家マース・カニンガムと出会っている。

1940年、ある舞踊公演のために曲を頼まれた。舞台は狭く、打楽器の楽団が入らない。置けるのはピアノ一台だけだった。そこで彼は、ピアノの弦のあいだにねじやボルト、ゴム、消しゴム、木片をはさんだ。弦の響きが変わり、一台のピアノから打楽器の合奏のような音が出た。これが「プリペアド・ピアノ」である。1946年から48年にかけて書いた『ソナタとインターリュード』は、その代表作になった。

作曲家モートン・フェルドマン(1976年)
作曲家モートン・フェルドマン(1976年)Wikimedia Commons Rob Bogaerts for Anefo · CC0

1940年代の後半、彼は行き詰まった。音楽が感情を伝えるものなら、聞く人ごとに伝わり方は違ってしまう。では音楽は何のためにあるのか。答えをくれたのは、インドから来た音楽家ギータ・サラバイだった。音楽の目的は心を静め、神聖なものを受け入れられるようにすることだ、という教えを彼女から聞いた。もう一つは禅である。1950年代の初め、彼はニューヨークのコロンビア大学で鈴木大拙の講義を聴き、自分の好みや意図を音楽から取り除くという考えにたどり着いた。

1951年から、彼は中国の古典『易経』で音を決め始めた。硬貨を投げて六十四の卦のどれかを出し、その数で音の高さ、長さ、強さを決める。『易の音楽』はこうして書かれた。作曲家が選ばない音楽である。易を使うと決めたのはあなた自身ではないか、という批判に、ケージは矛盾を否定しなかった。

翌1952年、ピアニストが舞台に出て、何も弾かずに時間を過ごす作品が初演された(ケージ『4分33秒』)。聴衆が聞いたのは、客席のざわめき、外の風や雨の音だった。沈黙は存在しない、聞こえるものすべてが音楽になりうる、とケージは考えていた。音のない部屋に入ったとき、自分の神経と血の流れる音が聞こえた、という体験も語っている。

その後も実験は続いた。12台のラジオを奏者が操る作品では、何が鳴るかはその時の放送しだいで、深夜の初演ではほとんど何も鳴らなかった。7台のチェンバロと数十本のテープを計算機で組み合わせた作品、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』に出てくる地名の音をその土地で録音して重ねた作品。オルガンのための「できるだけ遅く」と指示された曲は、ドイツのハルバーシュタットの教会で2001年に演奏が始まり、639年かけて弾き終える計画になっている。音が変わるのは数年に一度である。

ケージは菌類、つまりきのこの真剣な研究家でもあった。ニューヨーク菌類学会の創立者の一人であり、森できのこを採り、名を言い当てることにかけては専門家に引けを取らなかった。1959年にはイタリアのテレビのクイズ番組に出て、きのこの知識で勝ち進み、最高の賞金500万リラを手にした。番組では毎回、自作を演奏している。英語の辞書では「きのこ」と「音楽」が隣り合っている、と彼は冗談を言った。

1992年8月12日、ケージは脳卒中でニューヨークで死んだ。79歳だった。80歳を祝う催しが各地で準備されていたさなかのことだった。

彼は現代音楽の前提を、一つずつ疑い直した。作曲家は音を選ぶ人なのか。音楽と、音楽でない音の境はどこにあるのか。演奏会とは何をする場所なのか。沈黙とは何か。彼は答えを出したのではなく、問いを開いたままにした。その問いは、音楽だけでなく、美術、舞踊、詩の人々にも受け継がれた。

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